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XXXの仮想化輪廻 - Extra

Epilogue

 すっかり、遅くなってしまった。
 本を読んでいると、どうも時間の感覚があやふやになってしまっていけない。時計を見れば既に約束の時間を過ぎていて、先ほどまで一緒に本を読んでいたはずのダリアさんの姿も消えていた。
 慌てて部屋を飛び出すと、薬の調合の準備をしていた母さんが、不思議そうな顔をこちらに向けてきた。
「どこに行くんだい、ユーク? さっき、ダリアも慌てて出て行ったけど」
 ああ、ダリアさんもきっと途中で我に返ったんだろうな。つい苦笑してしまいながら、母さんの疑問に答える。
「あの、今日はお墓参りなんです」
「そうだったね、もう三年か。時が流れるのは早いもんだよ」
 母さんは分厚い眼鏡の下で、ダリアさんによく似た目を眩しそうに細めて言う。
「行ってらっしゃい、ユーク」
「はい、行ってきます」
 
 僕が『再誕儀式プログラム』から目覚めて、三年が経った。
 目覚めた頃はそれはもう色々と大変だったけれど、ダリアさんと、ダリアさんのご両親――今は、身寄りのない僕に対しても親として振舞ってくれている――のお陰で、人並みの生活を送ることができている。
 今、僕が生きている世界についてわからないことはまだまだ多くて、僕の知る「常識」との違いに戸惑うことも多いけれど、それでも僕は生きている。ダリアさんと一緒に、でこぼこと、けれど確かに。
 家を出た途端、柔らかな土と植物の匂いに包まれる。僕らの住むバロウズ家は森の中に位置していて、最初はあまりにも深く、濃く立ち込める生命の匂いにくらくら来たのを覚えている。僕は――というよりヒースは、そもそも「森」というものを実際に目にしたことは無かったから。
 とはいえ、違和感を感じていたのも最初の頃だけで、今はここが僕の居場所であると確信している。『再誕儀式プログラム』のシナリオを否定して、ただ一人の僕としてダリアさんと一緒に生きていくと決めたその時から、ダリアさんの側こそが、僕の居場所に他ならなかった。
 そして、この生活に慣れていくにつれて、『再誕儀式プログラム』の記憶は少しずつ薄れている。僕の内側に刻み込まれているヒースの記録も。
 ヒースがそうであったように、僕もそれなりに記憶力はよい方だが、それでも、ヒースの友人であった塔の博士や、母さんが語ってくれた或る異端研究者のような、完全な記憶能力を持つわけではない。
 だから、記憶は薄れて当然なのだ。そう、自分自身に言い聞かせようとしても、どうしても納得ができないままでいる。
 ガーデニアさんと対峙した時の戦慄も。
 シスルさんが僕にかけてくれた期待も。
 カメリアさんのヒースに対する執着も。
 ホリィが「僕」を認めてくれた瞬間も。
 そして、ヒースの最後の言葉も。
 忘れないと誓った、そのはずだった。
 なのに、少しずつ、彼らの姿が霞の向こうに遠ざかっていくのを、胸に響く鈍い痛みと共に自覚する。僕がこの世界に適応すればするだけ、忘却の痛みは深まっていくように感じられて仕方がなかった。
 だから、僕は、森の奥へと足を踏み入れる。ほとんど草や藪に覆われた獣道には、ついさっき通ったであろう一人分のちいさな足跡が刻まれている。それを辿るように道を行けば、見慣れた背中が立っていた。
「ダリアさん」
 声をかけると、ダリアさんは僕を振り向いた。その腕には、花束が抱えられていた。
「遅かったな、ユークリッド」
「すみません。でも、出て行くときに一声かけていただければ」
「かけたよ。君が、本にのめりこんでいて聞こえていなかっただけだ」
 軽く頬を膨らませて、ダリアさんが言う。
 とはいえ、ダリアさんも別に僕の遅刻を気にした様子はなく、「よいしょ」と手に持った花束を抱えなおす。近くの花畑で積んできたのであろう瑞々しい花は、ダリアさんの細腕には少々余る。
「僕が持ちますよ」
「ああ、ありがとう」
 ダリアさんから花束を受け取ると、甘く華やかな香りが鼻をくすぐる。僕の目には花の色は見えないけれど、きっと香りの通りに、鮮やかな色をしているに違いない。
「喜んでくれるかな」
「ええ、きっと」
 そして、僕らは歩を進める。更に奥へと分け入っていくと、「墓標」が見えてきた。
 墓標、と僕らが呼ぶそれは、かつて『再誕儀式プログラム』の装置が眠っていた洞穴だった。だが、その入口は既に塞がれている。僕がそう望んだのだ。遠い日の彼らを眠らせてほしいと。
 もちろん、この場所に彼らそのものが眠っているわけではない。それでも、ここは、ヒース・ガーランドが、そしてヒースと生きた彼らが確かに存在していたという「記録」の墓標であったから。
 かつて荒れ野であった場所に咲いた花を、墓標の前に置いて、目を伏せる。
 どうか、安らかに。小さく呟いた言葉は、柔らかな春の風に流されて消えていく。
 やがて、僕の横で同じように祈りを捧げていたダリアさんが顔をあげた。
「さあ、帰ろうか。今度は、君の誕生日を祝わなければな」
「いえ、別にそんな……」
「私が祝いたいんだ、文句は言わせないぞ」
 言って、ダリアさんはにっこり笑う。全く、敵わないな。僕もつい、つられて笑う。
 ……聞こえているかな、ヒース。
 いつか、僕は君たちの記憶を忘れてしまうかもしれないけれど。それまでは、君が夢見た、新しい世界に咲く七色の花を、僕らの笑顔と一緒に捧げようと思う。
 
 女神歴1125年花の月。
 僕は、ここに、生きている。

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