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XXXの仮想化輪廻 - Extra

Layer_2/ Adolescence(fragment)

「第二層にようこそ、彷徨い人」
 高くも低くもない、不思議な響きの声に混ざって、ほんの微かな軋む音を、耳が捉える。声が聞こえてきた方に目を向ければ、そこには寂れたカフェがあり、その一つの席にたった一人、見慣れない人が座っていた。
『……気をつけろ、ユークリッド』
 天から響くダリアさんの声に、唇を引き結んだまま軽く頷く。
 その人は、つや消しの黒いロングコートを纏い、硬そうなブーツの色も、紅茶のカップを持つ指を覆うぴったりとした手袋も全てが黒一色。衣装に覆われていない首から上は、対照的に染み一つない白い肌を晒していた。それこそ、頭の先から顎の先まで。毛髪を持たない滑らかな頭部には、鳥の羽に似た模様が刺青として刻まれている。
 そして、その人がどのような表情で僕を観察しているのかは、正しく判断することができなかった。その顔の上半分は、ほとんどが幅広のミラーシェードに覆われていたから。
 どこか現実離れした見た目をしたその人は、口元を笑みの形に歪めて言った。
「久しぶり。いや、アンタにとっては『初めまして』かな」
 ああ、この人も「かつての」僕を知っている。
 それでも、今の僕にとっては初対面であることには変わらない。先ほど取り戻した記憶には、この人の記憶はない……、と思う。最低でも、今の僕には思い出せない。
 それに、この人も「守護者」だとすれば、いきなり何をされるかわからない。言い知れない緊張を感じながらも、帽子を外し、背筋を伸ばして頭を下げる。
「は、初めまして。ユークリッドと申します。あなたは?」
「改めて名乗るのもこそばゆいが、今はシスルと呼ばれている。よろしく」
 ――シスル。
 口の中で呟くその響きは、どこか懐かしい。この階層に足を踏み入れたときにも感じていたけれど、この階層の景色、空気の匂いは決して清浄なものとは言えないけれど、妙にほっとする。それと同じ感覚だ。
「あなたも、花の名前なのですね」
 シスル。鋭い刺を持つ、野に咲く花の名前だ。素朴な形状の花もさることながら、複雑な輪郭を描く葉が美しい植物であると記憶している。同じく花の名前を持つダリアさんは、『そうなのか』と不思議そうに呟いていたけれど。
 すると、シスルさんは紅茶のカップを持っていない方の手をひらりとかざした。
「何、花の名前はそう珍しくないだろう。この滅び行く世界に根付くように、モノトーンの荒野に彩の花を咲かせられるようにという祈りさ」
「滅び行く、世界……?」
「ああ、アンタはそれも覚えてないのか。ま、聞き流してくれ。それは、今のアンタの状態には何ら関係が無い」
「は、はあ」
 僕は、この施設の外を知らない。地階の施設にはこの塔を見上げる形になる窓しかなかったし、塔にも外をうかがうための窓はない、のだろう。最低でも、この階層に至るまでに僕が外を見る機会はなかった。
 ただ、シスルさんの言葉を特に奇妙だとは感じなかった。記憶が中途半端な断片しか取り戻されていない現状では、記憶と知識を正しく結びつけることはできないけれど、脳内にちらつく風景や言葉は、この世界が決して恵まれた状態には無いことを示唆している。
 きっと、全てを思い出した時には、これらの風景の意味もわかるのだろう。もちろん、シスルさんが言っている意味も。
 つい考え込んでしまっていると、シスルさんは口元の笑みを苦笑に変えて言った。
「まあ、立ち話もなんだ、座ったらどうだ」
 シスルさんが指したのは、ちょうどシスルさんと向かい合う形で用意された椅子だった。ご丁寧にも、僕の分のティーカップまで用意されている。だからこそ、どうしても、その言葉を警戒しないわけにはいかない。
「……えっと、いきなり殴ったりはしないんですね?」
 すると、無造作に紅茶のカップを置いたシスルさんが、おかしそうにくつくつと喉を鳴らして笑う。
「件のお姫様は、相当情熱的な歓迎をしてくれたみたいだな。しかし、アンタの期待に応えられなくて悪いが、私は出会い頭に人を殴って喜ぶ趣味はないんでね」
 その言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。しかも、下の階層の彼女よりはずっと温和な人であるようだ。見た目はちょっと怖いけれど。
 ……いや、見た目の怖さ以前に、この人には何よりもまず「違和感」を覚える。表情の作り方、指先の動き、そしてこの人の存在を認識した瞬間から微かに響いている、何かが軋むような音。
 その音を聞き逃さないように、耳をそばだてながらそっと椅子に腰掛けて。シスルさんのミラーシェードを真っ向から見据える。
「あの、失礼ですが」
「うん?」
「シスルさん、あなたは『人間』ですか?」
 不躾な質問であることはわかっている。それでも、聞かずにはいられなかった。シスルさんは、一瞬口をつぐんだが、すぐに愉快そうに笑い出した。
「はっは、本当にアンタは『奴』とはまるで別人だな。その率直さは奴よりもずっと快い」
 奴、とは僕の過去のことなのだろうか。下の階層で出会った守護者は僕の名前――どうしてもノイズにしか聞こえなかったけれど――を絶えず呪詛として唱えていたから、シスルさんが「僕」と「記憶を失う前の僕」を別の存在のように語っているのが不思議だ。
 そんなシスルさんは、細い指を組み、いたって楽しそうな口ぶりで言う。
「で、アンタが言う『人間』とは何を指したものだ?」
「え……っ?」
「例えば、アンタも会った第一階層のお姫様は、遺伝上『ヒト』の分類ではあるが、生物としてあるべき手続きを経ていない、フラスコの中の小人だ。アンタがそうであるように」
 小人、というのは比喩だ。そのくらいは僕にもわかる。錬金術で作られた、何もかもを知るというフラスコの中の人造生命、ホムンクルスを表現しているのだろう。そして、それは僕も同じ。彼女も僕も、優れた人間を生み出すという計画によって、デザインされた子供だ。
 造られた人間。人間の胎から生まれたわけではない、ヒトの形をした何か――。
「……つまり、僕も『人間』ではないと?」
「いや、そこまで言う気は毛頭ない。私はあくまでアンタが『人間』をどう定義しているのかを知りたいだけさ。アンタは人間か、私は人間か」
 言って、シスルさんは僕の前で手袋を外す。その下に伸びていたのはすらりとした指だが、表皮はなく、骨を覆う筋肉がむき出しになっている。そして、その全てが「つくりもの」であることは容易に理解できた。
 人のそれを模した、精巧な機械仕掛けの手。肉と骨で構成されている人体から聞こえるはずのない、微かな軋む音はここから放たれていたのだと気づく。
 そして僕の耳が正しければ、おそらく、「つくりもの」なのは手だけではない。
「どこまで機械に換装しているのです?」
「脳以外のほとんどさ。昔、身体をばらばらに吹っ飛ばされてね、以来これが私の『身体』だ」
 それは、「壮絶」と評すべき出来事だったのだろう。けれど、シスルさんはあくまで静かに微笑んでいた。きっと、この人にとっては既に過ぎ去った出来事で、この身体で生きている「今」を受け入れているのだろう。
 ――仮に、そんな思いをした場合、僕はこの人と同じように微笑んでいられるだろうか。
「さて、アンタはこんな私を『人間』だと思うかい?」
 シスルさんは、微笑みを崩さぬまま、問うてくる。僕が投げかけた疑問のはずだったのに、逆に僕がその認識を改め直す羽目に陥っているなんて、皮肉もいいところだ。
「そうですね……。脳が人間である以上、シスルさんは機械の身体を持つ人間と言っていいと思います。少なくとも、僕はそう判断します」
 ただ、シスルさんの問いにはそれ以上の意図があるように思えてならない。相手の表情が伺えないから、意図をきちんと受け止められているかどうかは、わからない。
 それでも、この問いは、ただ単純に「人間」かどうかを問うているのではない、そんな気がした。
 その予感が的中していたことは、シスルさんの笑みが深まったこと、そしてその薄い唇が間髪入れずに開かれたことではっきりとした。
「では、ついでにもう一つ。これは私の興味本位の質問だ、正しい答えは無いから気楽に考えてみてくれ」
「何ですか?」
「アンタは脳が人間のものである以上、私が人間であると言ったな。つまり、アンタにとってはヒトの脳の有無が『人間』とそれ以外の境界線ということだ。では、今ここにいる私が『シスル』であると定義するものは、一体何だと思う?」
「……え?」
「言い方を変えよう。アンタが人間であるとして、ではアンタを『ユークリッド』として定義するものは、一体何なのだろうか」
 ――僕を、『ユークリッド』として定義するもの?
 そもそも、僕の名前はダリアさんから与えられた、仮の名前だ。僕は、僕が何者なのかを知らない。定義するものがないから、それを取り戻すために塔に挑んでいるのだ。なのに、僕を『ユークリッド』として定義するとは、どういうことだろう?
「言ったとおり、これは私の興味本位さ。そう難しく考えるな、私ですら未だ納得できる答えは見つけられていない。こうして脳以外の肉体を失った私は、かつて生身であったころの『わたし』と何が同じで、何が違うのか。『私』は『わたし』ではないのか。それと同じく、アンタがアンタ自身をどう定義しているのかを知りたい」
『それは、第二階層の守護者としての質問というわけでもないのか』
 ダリアさん、いい質問だ。これがシスルさんの仕掛けてきた試練だとするなら、ここで間違った瞬間に僕は永遠にこの施設に閉ざされてしまうことになる。思わず緊張する僕に向かって、シスルさんは「ははっ」と愉快そうに笑う。
「もちろん。これに答えられないからと言って、記憶の鍵を渡さないなんて意地悪を言うつもりもないさ。よかったら、観測者の君も考えてみてくれたまえ。名前は何と言うのかな」
『ダリアだ』
「ダリアか、いい名前だ。君の顔が見られないのが残念だ」
 まあ、茶でも飲みながらゆっくり考えればいい、とシスルさんはポットを手に取る。僕は、促されるままに手元のカップをシスルさんに向けて差し出す。
「あ、ありがとうございます」
 熱い紅茶が注がれる。鼻をくすぐる華やかな香りも、何故だろう、不思議と懐かしい。
「これはな、奴が好きだった茶なんだ。私は味覚が人より鈍いというのに、『香りは人一倍よくわかるでしょう、それで十分楽しめるじゃないですか』なーんて言ってな」
 シスルさんは、わざわざかつての僕の真似をしてみせる。妙に慇懃さを強調した喋り方は、妙に耳障りだと思ったけれど、
『上手いな、物真似……』
 あ、やっぱり似てるんだ……。
 僕は自分がどう喋っているかを客観的には判断できない。でも、ダリアさんの声が妙にしみじみしていたから、きっとものすごく似ているんだろう。意識して普段の態度を改善すべきなのかもしれない。とはいえ、目が覚めたときから染み付いていた喋り方は、簡単には直せないだろうとも思う。
 そんな下らないことを考えている間に、シスルさんは手際よく砂糖とミルクを注ぐ。
「砂糖を一杯、ミルクを少し。それがアンタの好みだったな」
「え、あ、そうだったでしょうか」
「飲んでみればわかるさ。どうぞ」
 差し出されたカップを手にとって、一口。芳醇な香りと、ミルクを含んだ柔らかな舌触り。香りだけでなく、懐かしい味わいだと思う。シスルさんの言うとおり、これが僕の好きな飲み方だったのだろう、ということは何となく納得できた。
「クッキーもどうかな」
 言われて視線を落とせば、テーブルの上には、山盛りのクッキーの皿が出現していた。
「自分で作ったんですか!?」
「ああ。奴が好きだって言うからな。味がわからなくとも、菓子はレシピさえ守ればそれなりの味になるからいいものだ」
 こんな、見た目からして明らかに堅気からかけ離れた人が、キッチンで小麦粉を振るっているところを想像すると、愉快を通り越してちょっといたたまれない気分になる。それでも、シスルさんの言葉を疑う気にはなれなかった。これも、僕が、この人をどこかで覚えているからだろうか。
 人形の形をしたクッキーを一口。ほんのりと甘く、ほろほろとした舌ざわりを確かめながら、僕は一つの疑問を言葉にする。
「……僕、シスルさんと、そんなによくお茶を飲んでいたんでしょうか」
「まあ、そういうことになる。私は、奴のことが大嫌いだったんだが、ことあるごとにつき合わされていた。いい迷惑だ」
 苦笑して手を振るシスルさんは、「大嫌い」「いい迷惑」と言いながらもどこか懐かしそうに微笑んでいた。だから、僕も不愉快な気分にはならない。きっと、シスルさんはかつての僕を心の底から嫌っていたわけではないのだろう。そうでなければ、こうして僕の趣味を完全に把握することもなかったはずだ。
「下らない話に付き合わされる私の立場にもなって欲しいものだったが――ああ、勘違いしないで欲しいんだが、アンタと喋っているのは不愉快ではないよ。むしろ、奴が私に持っていた先入観が無い分、話していてとても心地よい」
 先入観。シスルさんが、かつての僕を嫌う理由の一つ。一体かつての僕はシスルさんの何を知っていたのだろう、とは思うが、それについては、きっといくら考えても思い出せないことなのだろう。それこそ、僕の記憶の守護者であるシスルさんの手の中にある、はずなのだから。
 僕の舌によく馴染む紅茶を、もう一口含んでから、口を開く。
「昔の僕も、今、シスルさんが僕に問うているようなことを考え続けていたんでしょうか。自分を定義するものについて」
 シスルさんは、まるで僕を鏡映しにするように、自分のために注ぎ足した紅茶を一口飲んでから、ふっと息をつく。
「ああ。特に、奴の有様は私よりずっと偏執的だった。常に『僕は僕だ』と胸を張って、けれどそうしていないと壊れてしまいそうに見えた。自分、を示すものを何とかこの世界に残そうと足掻き続けていた。最低限、私が知っている限りはね」
 言って、シスルさんは首をモノトーンの街並みへと向ける。ミラーシェードの下の目が、どのような思いを篭めてその町を見つめているのか、僕にはわからない。わからないけれど、かつての僕を嘲るような言葉に反して、その口元が浮かべる笑みは酷く穏やかだった。
「だから、かつての奴とはまるで違う、何もかもを失ったアンタに問うのさ、ユークリッド。アンタは、何をもって己を定義する?」
 ユークリッド。それは本来の僕の名前ではない。
 けれど、ダリアさんが、ここにいる僕のためにつけてくれた、名前。今のほとんどまっさらな僕をこの場所に繋ぎとめている、大切な名前だ。
 そう、だ。そんなに難しく考える必要は無い。シスルさんも、きっとそんな答えは望んではいないはずだ。今の僕が。記憶を失って、こんなよくわからない場所に放り出された僕が。どうして、記憶を取り戻すためにこの塔を上ろうと思ったのか。
 その理由こそが、シスルさんの問いへの答え。
「正直、定義なんてできてはいません。僕は、自分が誰なのかもわからないんです。そんなこと聞かれても、ただただ不安になるだけで、何の答えを見出すこともできません」
『ユークリッド……』
 ダリアさんの声が、不安げに響く。きっと、僕が不安がっているのだと思っているのだろう。でも、僕が言いたいのはここからだ。顔を上げて、真っ向からシスルさんを見据えて、笑ってみせる。
「でも、ダリアさんは、そんな僕の名前を呼んでくれて、僕の背を押してくれた。僕が僕自身の記憶に戸惑っていても、僕を肯定してくれた。だから、僕は胸を張るまではいかなくとも、折れずに立っていられるんです」
 かつての僕は、もっと強い人間だったのだろう。第一階層で僕が得た記憶は、決して美しい記憶ではなかった。それでも、シスルさんの言葉を信じる限り、それらを抱えた上で、なおも全力で己を貫き通す、そんな人間だったのだろう。
 けれど、今の、ばらばらになった記憶を拾い集める僕は、きっとその頃の僕とは違う。
「今の僕は、僕一人では僕を定義することなんてできません。ダリアさんが見守っていてくれるからこそ、今、ここに『僕』が在るのだと、そう思っています」
 すると、シスルさんの口元から笑みが消えた。表情を失うと、急にシスルさんが「つくりもの」であることがはっきりと意識されて、背筋がぞくりとする。それでも――だからこそ、だろうか。その顔から目を離すことができない。
 失望させてしまっただろうか、と不安になった次の瞬間。シスルさんは、柔らかく微笑み、不思議な響きの声で言う。
「いい答えだ」
 そして、少しだけ身体を伸ばして、僕の頭を撫ぜた。まるで、兄が弟にするかのような、少しだけ乱暴で、けれど親愛の情が篭っているとはっきりとわかるやり方で。
「今の問答、忘れるなよ」
 言って、シスルさんは立ち上がる。座っている時には気づかなかったけれど、身長は僕よりも少しばかり低いようだ。小柄、と言うべきだろうか。すらりとしたつくりものの手を僕に向かって伸ばし、薄い唇を笑みに歪める。
 
「さあ、ユークリッド。アンタの記憶をかけた、第二のゲームを始めようか」

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