シアワセモノマニア物語XXXの仮想化輪廻 > Extra - Layer_1/ Childhood(fragment)

XXXの仮想化輪廻 - Extra

Layer_1/ Childhood(fragment)

 手にした警棒で、振り下ろされた爪を受け止める。白衣を纏い、人の形をした――だけど、明らかに人間ではない「お化け」が、白濁した目で僕を見据える。その皮膚は岩のようで、刃のように伸びた爪は鋼の硬さ。
 僕のほとんど唯一の得物である飛び出し式の警棒は、頼りなさげな見かけによらず、しっかりと鋼の爪を押さえ込んでいる。その間にもう片方の腕が繰り出す一撃を予測、先手を打って回し蹴りを叩き込む。
 岩のような見た目は伊達じゃなく、僕の足に響く痛みは、目の前のお化けに与えた痛みよりも強かったに違いない。それでも、僕ばかりが痛みを感じたわけでは無い証拠に、お化けはたたらを踏み、二、三歩後ろに下がる。解放された警棒を握りなおし、足の痛みも無視して床を蹴る。追撃に、迷いは禁物。
 息を吐いて、がら空きになった胸に警棒での突きを食らわせる。そこがお化けの弱点だったのかもしれない、突いた一点からごつごつとした皮膚に皹が入ったかと思うと、白衣を残してお化けが砕け散り、無数の花びらと化す。
 ふわり、と。床に落ちようとする白衣を手に取ろうとすると、その白衣も花びらに変じて僕の手からすり抜けてしまった。舞い散る花びらと、甘い花の香りだけを残して、お化けは跡形もなく消滅してしまった。
 いや、もう一つ。
 ワンテンポ遅れて耳に響いた、乾いた音色。床に落ちたのは、光り輝く石のようなもの。
 ――僕の、記憶の断片。
 身を屈めて、石を手にとってみる。その瞬間、何か――今の僕には理解のできないイメージが脳裏に焼きつく。光、それと、白い部屋。僕とよく似た顔をした、子供たち。この塔に入ってから何度も目にしてきた、それでいて少しずつ違う、記憶。
 これが、僕から失われていた過去。ただ、それらはあくまでばらばらに与えられる「情報」でしかなくて、無理やりに頭の中にねじ込まれるそれは、今の僕には、まだきちんとした記憶として定着してくれない。
「……っ」
 頭に走る、鈍く響くような痛み。でも、ここで立ち止まっていてはいけない、失われた記憶はこれだけではないのだから、もう少し、前に進まなければ――。
 その時。
『少し休もう、ユークリッド』
 ダリアさんの声が、頭上から降ってくる。
「いえ、まだ行け……」
『顔色が酷い。休め』
 そう言いきられてしまっては、僕も反論しようがない。別に時間に追われているわけでもないのだから、これ以上無理して、ダリアさんに心配かけても仕方ないのだ。大人しく、壁に背をつけて座り込む。帽子がずれて、鍔が僕の視界を覆った。
 鍔の作る柔らかな闇が心地よい。僕の目はよく見えるけれど、代わりに強い光にめっぽう弱いようだ。精神的に磨り減るのは、多分にこの目のせいもあると思う。いやに明晰に映る世界、頭の奥がちかちかする感覚。
 だから、視界が闇に閉ざされると、ほっとするのだ。もちろん、多少は不安もあるけれど――。
『今のところ他に気配はない、しばらくは大丈夫だ』
「はい、ありがとうございます」
 ダリアさんがそう言ってくれるから、安心して休むことができる。
 こうしてみると、知らず消耗していたのだと自覚する。全身から力が抜けて、僕の身体が僕のものではないような気分になる。
 ……それは、何も、疲れているだけではないのかもしれない。
 目が覚めてから今この瞬間まで、どうも、しっくりと来ない感覚が意識の片隅に残っている。この手も、足も、身体全体が、僕自身のものではないような。これも、僕の記憶が完全に欠け落ちてしまっている故だろうか。
 記憶。少しずつ、少しずつ。お化けに追われながらも、取り戻されていくもの。まだまだ穴だらけで、取り戻すたびに鈍い頭痛に襲われるけれど、これが全て埋まったときには、この違和感も頭痛も消えて、目の前が明るく開けるのだろうか。
 ――わからない。まだ、僕には何もわからない。
『しかし、すごいな』
 ぽつり、と。ダリアさんの呟きが、天井から降って来る。僕は、少しだけ帽子の鍔を上げて、頭上に目を向ける。とはいっても、そこには淡く輝く不思議な材質の天井があるだけで、ダリアさんの姿が見えるわけでもないのだけれど。
「何がです?」
『君の戦い方だ。惚れ惚れするよ』
 惚れ惚れ、という言葉に違うことない、うっとりとした響き。ダリアさんの言葉はいつだって直球で、だからだろうか、褒めてくれるのは嬉しいけれど、ちょっと、いや、かなり気恥ずかしい。熱が頬まで上ってきていることに、ダリアさんは気づいているのだろうか。僕の動揺など構わず、言葉を続けてくる。
『意識してそうしているのか?』
「え、えっと、特に意識してはいませんよ。ただ、襲われると自然と身体が動くというか。記憶とは別に、身体が覚えてるのかもしれません」
 実際、最初に変な触手のお化けに出会った時には、どうしていいのかわからずに、頭の中が真っ白になってしまった。それでも、身体は勝手に動いて、触手を振り払ってみせたのだ。僕の意識はただ、それを呆然と眺めているだけで。
 とはいえ、少しずつ、少しずつではあるけれど、意識も身体の動きに同期しつつある。僕自身が何をできるのか、理解し始めたともいう。
『殺すための戦い方とは違うようだが』
「そうみたいですね。僕の戦闘技術は、どうやら制圧術の類のようです」
『本来は相手を無力化する技術、ということか』
「はい。だから武器も刃物の類ではないんでしょうね」
 右手に握った警棒を天井にかざしてみる。柄から先端までが黒で統一された、飛び出し式の警棒。やけに僕の右手にしっくりと来る武器。
 かつての僕は、一体誰にこの武器を振るっていたのだろう。最低限、さっきのようなお化け相手ではなかったのだろうなあ、とは思うけれど、それ以上のことは、記憶を取り戻さないと話にならない。
 そう、何を考えたところで、結局この塔の上を目指さなければ、何が真実で何が僕の空想なのか、わかったものではないのだ。
 もう一度見上げてみるけれど、そこには天井があるだけで、この塔の上層を見渡すことはできない。僕が目覚めた層から見えた塔は、それこそ天を突くような高さで、その頂上は見えなかったのだと思い出す。
 ただ、実際に足を踏み入れてみると、それこそ「高さ」どころか「広さ」すらも曖昧な、物理法則を完全に無視した空間が広がっている。ダリアさんは、それぞれの階層にいる記憶の守護者とやらに出会い、記憶の鍵を受け取ることができれば上の階層に進めるというが、その守護者がどこにいるのかはさっぱりわからない。
 どれだけ前に進めば、頂上にたどり着けるのだろう。頂上にたどり着けば、本当に僕が求めた全てがそこに待っているのだろうか。
 ああ、駄目だ。立ち止まってしまったのが悪かったのかもしれない。嫌な想像ばかり浮かんでくる。つい片手でこめかみを押さえていると、ダリアさんの不安げな声が降ってくる。
『辛いか?』
「あー……、どちらかというと、気が滅入ってるんだと思います」
 ここには僕とダリアさんしかいないのだから、虚勢を張っても仕方ない。
「このまま、骨になるまでこの塔を彷徨わなきゃならないんじゃないか、とか。塔の頂上に辿りついても、そこに記憶も出口もなかったらどうしよう、とか。つい、そういうことばかり考えちゃうんです」
 ダリアさんは、そんな僕の弱音をどういう顔で聞いていたのだろう。僕からダリアさんの顔は見えないから、想像することしかできない。ただ、一拍置いて聞こえてきた声は、何かを噛み締めるような、辛そうな――それこそ、ここで頭を抱えている僕よりもずっと苦しげな声だった。
『すまない。私が、不安がらせてしまっているな』
「い、いえ、僕が勝手に落ち込んでるだけで、ダリアさんは何も悪くありませんよ! 伝えられないことも多いんでしょう?」
 ダリアさんはこの塔について、かなりのことを知っているはずだ。けれど、観測者にはいくつもの制約が設けられていて、僕に伝えられない――伝えようとしても、僕まで届けることができない情報も多いのだという。
 この探索行の終着点だって、そうだ。だから、ダリアさんは最初から、僕に伝えられることだけを、不足なく伝えてくれようとしていた。そのくらいは、僕にだってわかる。
『それでも、君を安心させる言葉一つ思いつかない。不甲斐ない』
 ダリアさんは低い声で言って、もう一度『すまない』と謝罪の言葉を吐き出す。
 嫌だな、そんなつもりじゃなかったのに。そんな風に言われてしまったら、僕まで悲しくなってしまうじゃないか。不甲斐ないのはこっちだ、心配かけてしまうどころか、悪くもないことで謝らせるなんて。
 そう、気の利いたこと一つ言えずに、膝を抱えているのは僕も一緒だ。
 小さく、深呼吸。体の中に、新しい空気を循環させて、内側で澱んでいたものをゆっくりと吐き出すイメージ。あくまでイメージに過ぎないけれど、それだけで、落ち込んでいた心がほんの少し軽くなる。
 まだ、この不安は消えないけれど、それでも、強張っていた顔の筋肉が和らいだのはわかる。
「……あの、ダリアさん」
『何だ?』
「少しだけ、お話ししませんか。気分転換として」
 そう、ひと時だけで構わない。この塔のことも、僕自身のことも、一瞬だけ忘れて。他愛の無い話をすればいいと思った。同じことばかり考えているから倦んでしまうのだ、お互いに気分を変えるのは大事だと思う。
 ダリアさんも、きっと同じことを思ったのだと思う。僕にもはっきりとわかるくらい、ほっと息を吐き出した。
『ああ、私は構わない。しかし、何を話せばいいかな』
 ダリアさんの言葉は、少しばかりたどたどしい。元々、あまり喋るのは得意ではないのだと思う。とはいえ、僕は僕で記憶が曖昧だ。話せることなんて、ぱっと思いつかない。だから、気づけば、ずっと胸の片隅で気になっていたことを言葉にしていた。
「ダリアさんのこと、教えてもらえたら嬉しいです」
『私のこと?』
「はい。僕を観測しているということ以外、僕、ダリアさんのこと何も知らないって気づいたんです。だから、何でも構いません、ダリアさんのことを聞かせてくれませんか」
『私のこと、か……』
「あっ、もちろん嫌なら全然構わないですよ。観測者のルールもあると思いますし」
 僕は慌てて付け加える。何も、無理やり聞き出したいとか、そういうわけではないのだ。
 それでも、知りたいと思うのは本当だ。
 僕が目覚めたときから、ずっと、僕に声をかけてくれる人。硬い口調に反して、とても優しい声をしている人。大輪の花を思わせる名前の人。
 今の僕がダリアさんについて知っているのは、その程度でしかないのだから。
『あまり、面白い話ではないと思うぞ』
「面白いかどうかは、聞いてみないとわかりませんよ」
『はは、そうだな。その通りだ』
 ダリアさんは、愉快そうに笑った。その爽やかな笑い声が、耳に心地よい。
 そうだ、笑っていてくれた方が嬉しい。僕は、何もダリアさんを悲しませたいわけじゃない。
『……私の話。そうだな、私は科学者であり、君がいる場所とは別の場所からモニタ越しに君を観測している、というのは言ったと思う』
「はい」
『ただ、それは私の本来の仕事ではない。私の本職は医者なのだ』
「お医者様、なのですか?」
『ああ。とはいえ、まだ見習いだ。両親の仕事を手伝いながら勉強をしている』
「ご両親もお医者様なのですね」
 親。その感覚が、どうも、僕にはよくわからない。単に記憶が無いからだと思いたいが、少しずつ戻りつつある幼年期の記憶を手繰ろうとしても、「親」というものを感じ取ることができないのだ。
 その奇妙な欠落感からだろうか。ダリアさんの言う「両親」というものに、単純に興味が湧く。
「ご両親は、どのような方なのですか?」
『父は、何となく君に似ているよ。優しくて、温かくて、ぼんやりしたところがある』
「……僕、そんなにぼんやりして見えますかね……」
 一応、これでも色々考えているんだけどな。そんな「考えている」状態が、ダリアさんからはぼうっと見えているのかもしれない。
『それでも、父は仕事においては決して妥協しない。医者という仕事は、ままならないことも多い。それでも一時も手を止めることなく、最善策を探し続ける。それを辛そうな顔一つせずやってのけるんだ、私はそんな父を心から尊敬している』
 ダリアさんの「尊敬」という言葉には、一点の曇りも感じられなかった。そこには、尊敬できる父を持ったダリアさん自身の誇りのようなものも感じ取れて、何故かはわからないけれど、こちらまで嬉しくなる。
『母は、父よりもずっと厳格な人だ。医者としての技術は、ほとんど母から学んだ。父はどちらかというと、私が医者になるのは反対だったからな』
「何故です?」
『難しく、厳しい仕事ではあるからな。私に、辛い思いをさせたくなかったのかもしれない。まあ、もちろん、父の言うことなど全く聞かなかったわけだが』
 医者見習いだというのだから、そういうことなのだろうとは思っていたけれど、そうはっきり言われてしまうダリアさんのお父さんには、ちょっと同情してしまう。
「お母さんは、反対はしなかったのですか?」
『この仕事の難しさを教えられはしたが、反対はされなかったな。多分、何を言っても無駄だと思われたんだろう』
「あー……」
 僕はダリアさんのことを何一つ知らない。知らないけれど、一度こうと決めたら梃子でも動かないのだろう、ということくらいは、今までのダリアさんの発言から何となく想像はつく。
 ダリアさんは、その頃のことを思い出したのか、くすりと小さく笑う。
『実はな、君とこうして会っているのは、両親には内緒なのだ』
「そう、なんですか?」
『ああ。今は仕事を休ませてもらって、ここにいる』
 何故、と。問うた声は、上手く言葉になっていただろうか。僕には、ダリアさんが、どうして僕の観測者となったのか、わからないままでいる。
『それは……』
「それは?」
 首を傾げて、ダリアさんの答えを待つ。ダリアさんはしばし小さく唸った後、ほとんど吐き捨てるような勢いで言った。
『秘密だっ』
「ええっ」
 秘密って、それは酷くないですかダリアさん。
 わざわざ「秘密」ということは、観測者のルールで言えないわけではないはずだ。もしかして、そんなに言いづらいことなのだろうか。
 そんな僕の疑いの視線――と言っても僕の目にダリアさんが見えているわけではないが――を誤魔化すように、ダリアさんは露骨に高い声を上げて話を逸らす。
『そ、そういえば、今日は母がクリームシチューを仕込んでいたな。あと、パンを焼くとも言っていた。母の焼くパンは美味いぞ。木の実をたくさん練りこんだ、香ばしくて少しだけ甘いパンだ』
「それは……、美味しそうですね」
 思わず唾を飲んでしまったが、そういえば、僕は空腹を知らない。空腹、という状態を知識として理解してはいるものの、ここで目覚めてからは何を口にしていなくても空腹や喉の渇きを感じていないのだと気づく。本当に大丈夫なのだろうか、と思うが、今のところ特に支障も違和感もないから、大丈夫だと信じたい。
 そして、空腹はなくとも「美味しそう」と感じることができるのだということは、今、はっきりとわかった。
 ダリアさんは、そんな僕の反応を見て、嬉しそうに笑う。
『君が記憶を取り戻す時には、母に頼んで用意してもらうよ。きっと、父も母も、君を歓迎してくれる』
「はい、楽しみにしています」
 自然とそう言ってから、ふと気づく。
 そうだ、僕は記憶を取り戻すこと、この塔から出ることばかり考えて、それからどうするかを全く考えていなかった。記憶を取り戻しさえすれば、それも自ずとわかるものだと思い込んでいた。
 けれど、今、初めて。「その後の楽しみ」ができた。それは、ほんのささやかなこと。ダリアさんと、ダリアさんのご両親と食卓を囲むという、言ってしまえばそれだけの話。
 それでも、僕の心には温かなものが灯る。終わりの見えない探索行の「続き」を見据える力が、湧いてくる。
『……行けるか、ユークリッド』
「はい」
 僕を呼ぶ、ダリアさんの声に応えて立ち上がる。大丈夫、体はまだ少しだけ重いけれど、意識はもう、前に向いている。
 この道の続きに何が待っているのかを確かめるために、その向こうに待っていてくれる、ダリアさんのために。
 僕は、もう一度、歩き始める。

シアワセモノマニア物語XXXの仮想化輪廻 > Extra - Layer_1/ Childhood(fragment)