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XXXの仮想化輪廻 - Side: Dahlia

Layer_3/ Senescence(4)

 途端、今までの試行と同様、世界が一度壊れて巻き戻る――と、思われた。
 だが、モニタに一際激しいノイズが走ったかと思うと、次の瞬間、全く同じ場所で頭を抱えるクロウリー博士の姿が映し出される。よくよく見れば、彼女の周囲には『異常』を示す文字列や記号といった警告表示がいくつも浮かび上がっていた。
『……な、何? 移行、できない……?』
 端正な顔に浮かぶ感情は、困惑と狼狽。それと同時に、クロウリー博士の姿がぐにゃりと歪む。眼下の世界を襲う異常な崩壊の波とよく似た現象だ。ユークリッドにも、この異常は想定できていなかったのだろう、己の頭を押さえて悶えるクロウリー博士と私の声が聞こえる虚空とを交互に見やる。
『一体、何が……?』
「私にもさっぱりだ!」
 心の底からの感想を言葉にした瞬間、ノイズ交じりの声が私の意識に滑り込む。
『ああ、もう。本当に面白い人ですね、あなたは』
 そう、どこか、僕の大切な人に似ている――。
 ヘッドフォンの向こうで誰かが笑う。いつかの嘲るような声音ではなく、腹の底からの高らかな笑い声と共に言う。
『……これは、僕があなたたちに与えられる最初で最後の機会です。彼が何を選ぶのか。あなたが何を選ぶのか。見届けさせていただきます』
「待て、君は、一体……」
 私の質問に、声は答えずに一方的に話を打ち切った。
 ――ヒース・ガーランド。
 目の前にいる「ヒース」であるはずの君とはまた違う、まるで亡霊のように語り掛けてくる姿なき声。それが本当は何者で、どんな意図を持っているのかはさっぱりわからない。ただ、状況は私に混乱し続けていることも許してはくれない。
『彼を壊して! 今回の試行情報が破損すれば、状況は強制的に初期化できる! やり直すの、やり直すのよ!』
 悲鳴にも似たクロウリー博士の声と共に、ユークリッドの足元に落ちていた影からもう一つ、別の影が膨らんで、瞬く間に人の形になる。
 それは、ユークリッドのものに似た意匠を持つ、しかし君よりも幾分かシンプルな装飾の黒い服を纏い、目を奇妙な装置で覆った少年。私の前に幾度も姿を現しながら、今まで一度もユークリッドの目には映らなかった、案内人の少年であった。
 だが、今回ばかりはユークリッドにも彼の姿が見えているらしく、何度も瞬きをして少年を凝視している。
『……君、は』
 君の喉から漏れた声と、その表情は「信じられないものを見た」という驚きに満ちていた。それに対して、少年は今まで私に見せていたのと何も変わらない、どこまでも淡々とした態度で言い放つ。
『もうわかるだろう、僕の名くらい』
 言葉を投げかけられた君は、呆けた表情を引き締めて、ぽつりとその名を呼ぶ。
『ホリィ』
 ホリィ、と呼ばれた少年は、機巧仕掛けの人形のごとき無表情のまま、ほんの浅く頷くことで君の言葉に応えた。
『ホリィ・ガーランド。頭文字H、僕と同一の情報でつくられた、僕の片割れ。遠い日に失われてしまった、それでいて生涯を通して僕の影であった君』
 ヒースの影としての存在。私はその意味を正しく知ることはできないが、君がこの塔にいる間ずっと感じていたという欠落が、ここに立つ彼であったということだけは、何故かすんなりと飲み込めた。
 そう、ホリィという名を持つこの少年が、君という人間を形作るのに深い影響を及ぼしていたのだ、ということだけは、彼を見る君の、今にも泣き出しそうな表情だけで理解できるというものだ。
『そう。君は僕で、僕は君だった。君が僕をそのように定義している以上、僕はヒース・ガーランドの片割れたるホリィ・ガーランドだ。それと同時に、このプログラムが正しく実行されるべくプログラムされた「案内人」でもある』
 ホリィは、今まで私に対してそうしていたのと同じように、感情を全く交えない声音で語りながら、腰のナイフに手をかける。彼が大振りのナイフを振るう姿はこれまでも目にしたことがあったが、ユークリッドの――ヒースのそれよりもずっと洗練された、圧倒的な腕前を持っていたと思い出す。
 ユークリッドもそれをわかっているのだろう、緊張の面持ちで唾を飲み下す。
 そんな緊張感とは裏腹に、ホリィはあくまで淡々と告げる。
『君は選ぶことができる。君が抵抗をしなければ、痛みも苦しみも与えずに君という存在を初期化することができる。本来の君ならば、迷わずそれを望むのだろうな』
「……それは、何故だ?」
 そう、それがどうしても今までわからなかったのだ。頑なまでに死を望み、自ら銃を手にとって己のこめかみを撃ち抜く君を三度まで目にしながら、三度目には答えを与えられながら、その真意を未だに正しくは理解できていない私に、ホリィは淡白に言う。
『さあね。理由そのものはヒースしか知らない。僕はただ、この塔に蓄積されている「ヒースの記録」からそう述べているに過ぎないから』
 そして、ユークリッドは答えない。白い眉間に皺を寄せて、ただ、じっとホリィを見つめているだけで。
 ホリィは特に構う様子もなく、ナイフを抜き放つ。研ぎ澄まされた刃が、モニタの内側で煌く。
『そして、もう一つの選択肢として、君は初期化を防ぐために抵抗することもできる。とはいえ、僕は博士の命令を遂行するようプログラムされているから、手加減はできない。そして、生前の情報に従うなら、君は僕には敵わない。痛みと苦しみを伴いながら、意識を失うだろう』
『そう、でしょうね』
 ユークリッドの唇から漏れた声は、掠れていた。ホリィが着々と君を殺す準備をしているというのに、それでもなお、君は動こうとはしない。棒立ちのまま、ホリィを凝視している。
 ホリィは、ナイフを構え、一言だけ質問を投げかける。
『君はどうする?』
 ユークリッドは、あくまで、答えなかった。
 沈黙も一つの答え、と判断したのか。ホリィは『そう』とだけ言って、足に力を篭めた、ように見えた。
 次の瞬間、甲高い衝撃音がヘッドフォンから響いてきて、思わず「ひっ」と喉から変な声が漏れてしまう。心臓がきゅっと縮まって、激しい痛みを訴える。
 いくら君の決断を尊重すると言っても、ホリィに殺されることが君の決断だったとしても、それを目の当たりにするのが辛くないわけではないのだ。
 だが、モニタに映ったのは、ホリィのナイフを警棒で受け止めるユークリッドの姿だった。ユークリッドは、歯を食いしばり、強く右の腕を振ってホリィのナイフを弾く。それに対し、あくまで表情一つ崩すことないホリィは、一歩下がってナイフを握りなおしながら、ぽつりと囁く。
『そう。抵抗、するんだ』
 その言葉には肯定も否定もなく、単なる事実の確認以上の意味合いは篭められていなかったのだと思う。だが、ユークリッドはきっとホリィを睨み返して、口を開く。
『わからないんですよ、僕にだって』
『……何が?』
 それは、正直、私もホリィと同じ感想だった。無表情はそのままながら、どこか呆れたような気配を醸し出すホリィに対し、ユークリッドは彼らしくもない大声で続ける。
『よりにもよって君に抵抗しようなんて思ってしまったのも! 内心ではとっとと消えた方がいいって確信しながら、踏み切れないのも! 何もかも何もかも、僕らしくないとは思ってるんですよ!』
 それでも、それでも、と。喘ぐように、もしくは、祈るように。ユークリッドは、ホリィを見据えて叫ぶのだ。
『この、下らないプログラムは、本来、僕には何ももたらさないはずだったんです! どこまでも同じ結論を繰り返すか、観測者の諦観による終わりが待っているだけだったんです! 実際、全てを取り戻した瞬間はそう思っていました! なのに』
 ――今の僕には、わからないのです。
 ユークリッドの声が壊れ行く世界に響き渡る。
『失敗なんかじゃない。無駄なんかじゃない。どれだけこの僕が本来の僕としては不適格でも、どれだけこの試行が「本来の僕」のためのものであっても、僕は僕なんだって、言ってくれる人がいる。それは、本来の僕には考えられなかったことで、僕にだってまだ理解が及んでないんです。わからない以上、納得するまで消えるわけにはいかない!』
 極度の緊張と、おそらくはホリィの実力を知るがための恐怖だろう、震える手で警棒を握り締めながらも、ユークリッドは、決して、目の前の相手から逃げようとはせずに。
『これは、今、ここにいる「僕」の偽らざる思いです!』
 そう、言い切ってみせるのだ。
「ユークリッド」
 思わず、君の名前を呼んでいた。本来「ヒース・ガーランド」であるはずの君は、しかし、私にとってはどこまでも「ユークリッド」であって。君も、私と過ごしてきたほんの短い時間を、決して捨て去らないでいてくれた。その証拠に、君は、ホリィから目を逸らさないまま、私の声に応えるようにほんの少しだけ口の端を歪めて、笑う。
『ダリアさん』
「何だ」
『ダリアさんは、知っていたんですよね。僕が誰であるのかも、記憶を取り戻した僕がどんな結論を選ぶのかも』
「ああ」
 正直に答える。今更、全てを知ったユークリッドに隠す理由も無かったから。そして、ユークリッドは口元の笑みを深めて、それでいて、どこかはにかむように笑うのだ。
『それでも、諦めなかったんですね』
「諦めは悪いんだ。諦めて、後悔だけはしたくなかったから」
 何しろ今この瞬間のために人生の大半を費やしてきたのだ、そう簡単に諦めてたまるか。そんな思いを篭めた言葉を、ユークリッドは『そうですね』と真っ直ぐに受け止める。
『僕も、後悔はしたくないんです。後悔しないためには、今ここで終わらせるわけにはいかない。たとえ相手が、君であろうとも――ホリィ!』
 その言葉と同時に、モニタからユークリッドとホリィの姿が掻き消えた。

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