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XXXの仮想化輪廻 - Side: Dahlia

Layer_2/ Adolescence(3)

 声が、途絶えた。
 声だけではなく、町の建物の間を抜ける風の音すらも消えて、うっすらとした雑音だけがヘッドフォンの向こう側から響く。
 何も見えない、何も聞こえない。それがこれほど心細いとは思わなかった。
 今までの試行では、ユークリッドが意識を失うことこそあれど、私がユークリッドのことを観測できなかった瞬間は一度もなかった。観測者である以上、常時ユークリッドを監視できていてしかるべきであった。
 試行の最中に切り離されるということがどういう意味なのか、考えたこともなかった。
 だが、信じると言ったのだ。ユークリッドの諦めないという意志を。だから、私もこの心細さは心の奥底に封じて、彼を待とうじゃないか。
 完全に闇に閉ざされたモニタは、何を示すこともなく。ただ、ユークリッドの無事だけを願って、一旦ヘッドフォンを外そうとしたその時だった。
『……か』
 唐突に、耳に飛び込んできた声に、慌ててヘッドフォンをつけなおす。雑音交じりの声とともに、今まで闇しか映していなかったモニタにも、乱れが走る。
「案内人か」
 マイクを通して語りかけると、乱れた映像の中に少年の姿が浮かび上がる。その姿も酷く荒れていて、背丈と黒い服、それから目を覆い隠す奇妙な装置で彼であると判断できたに過ぎないが。
『聞こえるか、観測者』
「ああ、聞こえている」
『……よかった。第二階層に入ってから、そちらの動きが全く掴めなかったんだ。一体何が起こったか、理解はできてる?』
 案内人の少年は、早口に問いかけてくる。このプログラムを統括する側の少年に「掴めない」ということは、またもイレギュラーが発生しているということか。ユークリッドの無事とはまた違う意味での不安が募るのを感じながらも、とりあえず、私がわかることを率直に説明する。
「第二階層の守護者が、観測者が観測できないように、階層に手を加えたようだ」
『そうか。本来、守護者に観測者側の権限を完全に制限する能力は無いはずだから、このプログラム自体に何かしらの介入があったというのは間違いなさそうだ』
 そういえば、シスルが何か、気になることを言っていた気がする。先ほどまでそこにいたはずの、黒い外套を纏った禿頭の青年の姿を思い浮かべる。彼は、ユークリッドがシスルのことをおぼろげながらに記憶している、と言った時、どこか含みのある様子でこう言っていたはずだ。
『介入の結果か? だが、アンタが試行を記憶していたところで、誰が得するわけでもあるまいし……』
 ――シスルは、あらかじめ介入に気づいていた。
 それどころか、介入の正体が「何」であるのかもわかっているような素振りだった。
 それを案内人に伝えると、少年は微かに怪訝そうな気配をかもし出して言った。
『それは、第二階層の守護者が?』
「ああ」
 私の応えに、少年は何かしらを考えるような素振りをするが、すぐに軽く肩を竦めた。
『了解した。だけど、僕は考えることが専門ではないから、それだけで判断することはできないな。とにかく、管理者には報告しておこう。僕の話をまともに聞いてくれるかは別として』
「……頼む」
 それでよい方向に転がるのかはわからないが、この、何もかもが霧に包まれたような状況のまま、闇雲に進むのは何よりも恐ろしかったから、せめて、少しでも状況が把握できればよいと願う。
 それを言ってしまったら、元より、このプログラム自体についても、私が理解していることはさほど多くはないのだが。
 それで、と。少年は改めて私に問いかけてくる。
『君は、一時的にとはいえ、観測対象から切り離されているということか?』
「ああ。今回は、それが第二階層の『ゲーム』だそうだ」
 なるほど、と。少年は顎に手を当てる。その仕草は、不思議と、シスルのものとよく似ていた。否、思い返してみれば、シスルの挙動の一つ一つがこの少年のものに極めて近しかったのだと思い出す。
「……一つ、質問していいか?」
『僕に答えられることであれば』
「君は、第二階層の守護者――シスルについて、何か知っていることはあるか?」
 その質問に、少年は一拍置いて、質問で返してくる。
『その質問に答えたところで、内容を観測対象に伝えることはできないけど?』
 ユークリッドが把握できるのは、試行の結果得られた記憶の欠片と記憶の鍵に含まれている内容、そして観測者としての私が伝えた内容のみ。それ以外の、試行の外側で得られる情報はユークリッドには届かない――その仕組みは私も把握している。
「構わない。私が知りたいのだ。シスルについて、そして、君についても」
『……それは、当プログラムには無意味な質問では?』
「そうかな? 私はそうは思わない」
 少年の言うとおり、この問いはユークリッドの記憶を取り戻すプログラムとは、直接は関係ないのかもしれない。だが、シスルもこの少年も、かつてのヒース・ガーランドの記憶から形作られたものである以上、知ることが完全に無意味だとは思えない。
 それに、まあ、口に出すのははばかられたが、一人でユークリッドの結果を待つのは退屈でもあるのだ。少年が話し相手になってくれるならありがたい、という理由もある。むしろ、こちらが私の偽らざる本音かもしれない。
 そんな私の思惑を見透かしたのか否か、少年は溜息混じりに肩を竦めて首を横に振る。
『僕には理解できない、けれど』
 観測者の疑問に答えるのが僕の役目だから、と言い置いて、少年はぽつり、ぽつりと言葉を落としていく。
『シスル。あなたがそう呼ぶ彼について、僕が知っていることはそう多くない。特に、彼がシスルという名で呼ばれるようになってからの記憶は、僕にはないはずだ』
「……はず?」
『僕と彼の関係について、そう、ヒースが認識している。そういうことだ』
 そうか。どうしても忘れかけてしまうが、こうやって喋っている案内人の少年も、ヒース・ガーランドという人物の記憶を元に形作られた「再現」であって、かつてそこに居たという少年そのものではない。
 だから、ヒースが知りえないことは、この少年も知らない。現実がどうであったかは別として。そういうことだ。
『だから、僕は、彼とヒースの関係性も知らない。ヒースが彼と出会ったのは、おそらく、彼が「シスル」になった以降だから』
「シスルになる、というのは、あの機械の体になる以前ということか?」
『そう。きっと、どこかの試行では話していたんじゃないかな。彼自身のことを、少しは。何しろ彼はおしゃべりだからね、黙っていることなんてできないだろう』
 少年の言うとおり、どこかの試行で、彼は己の出自についていくつか語っていたはずだ。機械の体になった理由も。
「ああ。人としての死を迎えて、機械の体を与えられたと」
『うん。僕は詳細を知りえない。それでも、きっと、彼は笑ってみせるのだろうなと、想像できる程度』
 そう言った少年の視線は、荒れた画像の奥を透かすまでもなく、目を覆う装置のせいで読み取れない。ただ、どこか、懐かしむような響きが、淡々とした声に混ざる。
『彼は、そういう人なんだ。何があっても、僕に笑ってみせるんだ。心配はいらないと。自分は大丈夫だから、と』
 少年の口から紡がれる言葉は、不思議と、温かな記憶を思い返しているようにも、痛みを噛み締めているようにも聞こえた。もしくは、そのどちらも、だったのかもしれない。
 この少年にとってシスルがどういう存在だったのかは、これだけの話でははっきりとは理解できないが、どうやら、少年に大きな影響を残した存在だったのは、間違いないようだ。
『ああ……、あと、彼は何となくヒースに似ているな』
「ヒースに?」
 私は、シスルはともかく、ヒース・ガーランドという人物に関してはほとんど知らないと言っていい。ユークリッドが取り戻そうとしている記憶を垣間見るという形でその「輪郭」は見えるけれど、完全な形での君を目にするのはいつだって、試行の最後の一瞬だけ。
 君が己の頭を撃ち抜く、その瞬間だけなのだ。
 前回の試行の終わりに、私を見上げたヒースの表情を思い出す。今までと全く同じ姿かたちで、けれど、この塔を迷いながら歩んできた君とは明らかに違う、確固たる意志を宿していた君の顔を。
 そして。
『僕の幸せは、未来にはないんですから』
 その言葉だけが、頭の中にリフレインしている。君との未来を求める私と、未来を否定する君。どうしたって、相容れない主張。
 頭の中に焼きついた「君」の記憶が閃いては消えていく。ただ、どうしても、彼とシスルとが似ているようには思えなかったのだが――。
 少年も、私の沈黙に何かを感じ取ったのだろうか、ゆるりと首を横に振って言う。
『これはあくまで僕の主観だ。ヒースは否定していたな。そして、きっと、彼も否定する』
「なら、どうして、何をもって『似ている』と称する?」
『ものの見方、かな。ヒースも、彼も、自分の立つ世界を愛している。愛する、ということの意味を知っている』
 僕にはわからなかったものだ、と。少年はどこか自嘲気味に呟く。
『観測者、君も見ただろう。第二階層に広がる町の姿を。あれをどう思った?』
「……巨大な町だと思った。だが、同時に、どこか寂しいとも」
 それは、人の姿が無かったという理由だけではない。灰色の雲に覆われた空、褪せた色彩、ところどころが壊れた街並み。それは、確かに人が暮らす気配を残しながら、同時にゆっくりと風化していく廃墟のようにも見えたのだ。
『なるほど。僕は、何も感じない……、否、かつては感じなかった』
 だが、彼らは違うのだ、と。少年は言う。
『彼らはどんな些細なものごとにも幸福を感じる。一つ一つの出来事に名前をつけて、自分の目に見える世界を彩る。そうして、世界を生きることそのものに、喜びを見出していく。そういう生き方を選ぶところが、似ている』
 どんな世界であろうとも、ちいさな幸せを見つけながら、生きていく。なるほど、私の目には寂しく見える灰色の町だって、かつての君やシスルにとっては幸福が詰まった場所だったのだろう。ただ――。
「……本当に、そうか?」
『何が?』
「シスルについては、彼本人に聞くとしよう。だが、ヒースはどうなんだ。彼は、いつだって、全てを取り戻した瞬間に自分から命を捨てるじゃないか。彼が君の言うとおりの人間であれば、そんな行動には出ないのでは――」
『それは、今、ここにいる、彼だからだろう?』
 少年の言葉は、私には理解ができなかった。だが、何かが、喉の奥に引っかかった。魚の小骨のように、小さくも、確かな何かが。
 その正体がはっきりするよりも先に、少年は『ああ』と小さく呟いた。
『長話が過ぎたな。彼がこちらに来るようだ』
 僕は、守護者と言葉を交わすことはできないから、と。相変わらず淡々としてはいたけれど、どこか寂しそうに独りごちて、羽織った外套を翻す。
『それじゃ、また。……君の言う「ユークリッド」が、諦めない限りは』
 そのまま、少年の影は画像の乱れとなってそのまま闇に消えていった。

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