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XXXの仮想化輪廻 - Side: Dahlia

Layer_1/ Childhood(5)

 床を蹴って先に仕掛けたのは、ガーデニアの方だった。
 少女の腕は、普通に警棒と打ち合えばあっけなく折れてしまいそうな細く白い腕だ。だが、見た目で彼女の強さを判断することはできない。
 何しろここは現実ではないのだ。この空間では、君という人間を形作るために必要な記憶が、君のかつて抱いた感情を背負って、それぞれの形を構築している。特に、君の胸に深く刻まれたであろう痛みや苦しみは、この塔においては具体的な脅威として現れる。
 つまり、ガーデニア・ガーランドは、まさしく君の抱いていた胸の痛みそのものだ。
 少女の形を持った痛みが、比喩ではない君の心を貫かんと迫る。
 ユークリッドは、すかさず警棒で少女の腕を払いのける。人の腕を打ったとは思えない妙に金属質な音が響き渡り、ぎりぎりガーデニアの一撃はユークリッドの腕を掠めるに留まった。だが、表情一つ変えないガーデニアに対し、ユークリッドの方が歯を食いしばって呻く。
『強い……!』
「力では押し負ける! 動きをよく見て回避しろ!」
『はいっ』
 私の声に短く返事をして、素早く飛び退るユークリッド。ガーデニアはすかさず追撃をかけてくるが、ユークリッドはその一挙一動から視線を外すことなく、紙一重で避けていく。
 見ているうちにわかってきたが、ガーデニアの戦い方は決して洗練されたものではない。ただ、がむしゃらに、獣のような動きでユークリッドの急所を狙ってくる。とはいえ、その動きは素早く、そして極めて重い。一度でも判断を誤れば、命はない。
 それは、ガーデニアを間近で目にしているユークリッドが一番よくわかっているだろう。ガーデニアの突進を何とかいなした君の表情はどこまでも険しい。
 ただ――それ以上に、ガーデニアの方が、複雑な表情をしているように、見えた。殺気に満ち満ちているのは今までの試行と同じだが、その中に、何かを確かめるような、探るような表情が見え隠れしている。
 それに気づいているのか、いないのか。ユークリッドは、一気に距離を離したところで声を上げる。
『教えてください! あなたは何故、僕を殺そうとするのですか!?』
 ひた、と床を踏んで間合いを測るガーデニアは、ユークリッドとよく似た顔を歪めて、君をあざ笑う。
『何故? 心当たりはあるんじゃない? 記憶の欠片を手に入れた、今なら』
 その言葉に、ユークリッドは何かに気づいたように、目を見開いた。その間隙を狙って、ガーデニアは素早くユークリッドに飛びつき、細長い体を地面に押し倒す。衝撃で被っていた帽子が宙を舞い、君の表情が苦悶に歪む。
「ユークリッド!」
 声をあげることしかできないこの身が憎い。仮にこのモニタを叩く手が君に届いたところで、何ができるわけでもないのだろうが、それでも、それでも。
 しかし、君はガーデニアに頭を押さえ込まれ、歯を食いしばりながらも、まだ、諦めていなかった。今までの試行では、ここまで追いつめられた時点で呆然と死を待つことしかできなかった、君が。
 ガーデニアにとっても、君の反応は意外なものだったのだろう。ユークリッドの白い頭をぎりぎりと締め付ける手の力こそそのままではあったが、それでも、すぐに君を殺そうとはせずに、探るような視線の色を深める。
 ユークリッドは、片手でガーデニアの細い手首を掴み、掠れる声を絞り出す。
『あなたは、僕を憎んでいた。それこそ、殺したいと思うほどに』
 今までの試行の情報が正しければ、ガーデニアが君を憎んでいることは間違いないはずだ。おそらくは、その立場の違いを起因として。
 ガーデニアは己を「失敗作」と称し、ユークリッド――ヒース・ガーランドを「成功作」と呼んでいた。傍目に何が違うとも思えない二人の間に、何故、そんな差が生まれてしまったのか私にはわからないし、きっと、説明されたところで最後まで理解はできないだろう。
 ただ、もし二人の間に横たわる溝がそれだけであるならば、ここまで拗れることもなかった。お互いの間に決定的な線を引いて、それを踏み越えさえしなければ、よかったのだ。
 だが、君は。
『そして、僕は――、あなたに、恋をしていた、ようです』
 恋。それが過ぎ去ってしまった、叶わないまま君の中に封じられていた出来事であったとしても、君の口からその言葉を聞くたびに、私の胸は痛みを覚える。
 ――そう、君は、恋をしたのだ。
 境界線を踏み越えて、その向こう側に行きたいと、望んでしまった。
 それが具体的にどのような結果に終わったのか、私は過去の試行のユークリッドから聞いた断片的な話と、ガーデニアと君との対話の中から読み取ることしかできない。推定できることはただ一つ、幸せな結末を迎えてはいないということ、だけ。
 今、ここでユークリッドの命を奪わんとするガーデニアの姿を見る限り、その推定はさほど間違ってはいないはずだ。
 ちらちら揺れる怒りの炎はそのままに、それでも妙に静かなガーデニアに向かって、君は、ぽつりと付け加える。
『僕は、そう、記憶しています』
 その言葉に、ガーデニアはふんと鼻を鳴らし、唸るように言う。
『何が言いたい?』
『全ての記憶が、戻ったわけではありません。戻った記憶だって、一つずつ、浮かんでは消えるイメージ、でしかなくて。だから、見当違い、かも、しれませんが』
 頭を押しつぶされる痛みに、苦しげに息をつきながらも。ユークリッドは。決して、ガーデニアから目を離すことはなく。
『僕は、あなたの答えを、聞いていない』
『何?』
『聞いていない、という確信だけが、あるのです。きっと憎んでいた。きっと殺したいと思っていた。そんな推測と、僕自身の逃げ場のない感情と、その時与えられた痛みばかりが渦巻いている。けれど』
 ――本当は、あなたが何を思っているのか、知らない。
 そう、ユークリッドはきっぱりと言い切って。その、血の色を透かした淡い赤の瞳が、ガーデニアの姿を映しこむ。
 さながら、鏡のように。
『だから、教えてください! あなたは、僕を憎んでるのですか。恨んでるのですか。憎しみや恨みを理由にして、今ここで、僕を殺したいと望んでいるのですか!』
 畳み掛けられる問いかけに、ガーデニアは初めて困惑の表情を浮かべた。
 それは、記憶の一部を取り戻した君にとっては当然の疑問だったに違いない。ガーデニアが本当は何を思っているのか。何を理由にして君を殺そうとするのか。
 だが、同時にそれは、ガーデニアにとって想定の外にある疑問だった。
 きっと――今までの君ならば、疑問にすら思わなかった部分だった。
 ガーデニアに生まれた決定的な隙を、君は決して見逃さなかった。倒れた姿勢のまま、ガーデニアを下から突き上げるように突き飛ばし、己は横に転がりながら膝をついて素早く上半身を起こす。
 ガーデニアもすぐに身を起こし、君と向き合う。一瞬前までの困惑はすでにその面からは消え去っていて、何もかもを突き放すような、冷然とした無表情で。
『その質問に、何の意味があるの?』
『僕が知りたいんです。知らないまま殺されるのも、前に進むのも嫌なんです』
 ユークリッドは背筋を伸ばし、張り詰めた声で答える。いつ殺されるかもわからない恐怖を押し殺し、ただただ、毅然として。
 すると。
『そう。……そう、なのね』
 ガーデニアが――口の端を緩めて、柔らかく、微笑んだ。
 驚きの表情を浮かべるユークリッドに対し、ガーデニアは今までの鬼気迫る様子からは打って変わって、いたって穏やかに言う。
『残念だけど、私はあんたの望む答えを持っていない』
『……え?』
『この空間も、私自身も、過去の記録から形作られたもの。つまり、ここにいるのは「あんたの問いに答えなかった」私でしかない』
 ――だから、ガーデニア・ガーランドがどう思っていたのかは、私を含めて誰一人として知らないの。
 ガーデニアは淡々と言いながら、ゆっくりと立ち上がる。その優雅な所作は、今までの獣じみた動きとは全く異なっていて、ユークリッドも私もただ面食らうばかりだ。
 一つだけはっきりしているのは、ユークリッドの問いかけが、何故か、あれほどまでに頑なだったガーデニアの心を動かした。それだけだ。
 ユークリッドも、膝を払って立ち上がりながら、ガーデニアに問いかける。
『では、あなたはどうして、僕を殺そうとするのですか?』
『あんたに、この先に進んでもらいたくなかったから。記憶を、取り戻させたくなかったから。あんたが記憶を取り戻したところで、いいことは何もないって、思ってたから』
 そういえば、ガーデニアは、試行のたびに言っていたはずだ。
 記憶を取り戻さない方が幸せなのだから、と。
 その言葉を聞くたびに閃くのは、試行の末に己の頭を撃ち抜くユークリッド――ヒースの姿。記憶を取り戻した君は、必ず己の未来を否定する。その光景が、ガーデニアにも見えていたのかもしれない。実際に目にはしなくとも、ヒース・ガーランドという人物をよく知るものとして。
 しかし、ガーデニアは長い睫毛を持つ瞼を伏せ、ゆるりと首を振る。
『でも、気が変わった。あんたは、私を形作る記録とは違うものを見せてくれた。初めて「私」に疑問を抱いてくれた。記録の上では、最後まで私を本当の意味で理解しようとはしなかったのに』
 徐々に、わかってきた。私がガーデニアの言動を理解するのに苦しんだ理由。ガーデニア自身――つまり、ガーデニアを形作ったヒース自身が、理解できていなかったのだ。ガーデニア・ガーランドという人間そのものを。
 ヒースにとって、ガーデニアは獣じみたむき出しの感情と暴力性を持ち、同時に今見せている女神のごとき寛容さを持った存在だった。ただ、それがどのように重なり合っているのかが、彼女を見ていたヒースには、最後まで、わからなかった。
 わからなかった、という形こそが、今ここにいるガーデニアなのだ。
 とはいえ、ガーデニアの述懐は、記憶の大部分を欠いているユークリッドにはどうしたって理解の外にある。戸惑うユークリッドに対して、ガーデニアはにこりと笑いかける。
『どうせ、笑っても泣いても、これが最後だろうし。見届けたくなったの』
『最後? それは、どういう……』
 最後。これが最後の試行であるというのは私の勝手な思いであって、ユークリッドはそれを知らない。もちろん、ガーデニアだってそのはずだ。なのに、ガーデニアはこれが最後であると言い切って、笑みを消す。
 そして。
『ユークリッド』
 初めて、君の名を、呼ぶ。
 差し出した手には、天球儀を思わせる無数の輪が重なり合って廻る、不思議な物体。これこそが、ユークリッドの記憶の鍵。彼の内側でばらばらに散らばる幼年期の記憶を結びつける、もの。
『この鍵を手にした瞬間から、あんたは立ち止まれなくなる。一つ取り戻してしまえば、失われているものの影が明らかになる。空いた穴を埋めたいと思ってしまう。それがあんたの性質で、同時に設計者の狙いだから』
 でも、と。言って、ガーデニアは紅を引いたような赤い唇を歪めて、にやりと笑う。
『何もかもを疑うといい。この塔で起こる全てを、もちろん、自分の記憶さえも』
『記憶を疑うって、どういう』
『さあ、どういうことかしらね?』
 冗談めかして言うガーデニアは、ほとんど押し付けるようにユークリッドに記憶の鍵を手渡した。光の輪がユークリッドの指先に触れた途端、モニタが焼け付くような光が広がって、ユークリッドの体が光の中に影として浮かぶ。
 そして、ガーデニアは。
『観測者――ダリア、と言ったかしら。私と同じ、花の名の君』
 光の中に花びらとなって散りながら、私に向かって語りかけてくる。それもまた、ガーデニアには初めてのことだった。モニタの内側でこちらを見据える赤い瞳は、不思議と、温かな慈愛に満ちていて。
『どうか、そのままユークリッドを導いて。試行の先へ』
「試行の先……?」
『そう、くそったれな管理者と奴の、思惑の先へ』
 その、言葉だけを残して、ガーデニアの姿は虚空へと溶けて消えた。
 残されたユークリッドは、記憶の鍵を渡された姿勢のまま、呆然とその場に立ち尽くしていた。

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