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XXXの仮想化輪廻 - Side: Dahlia

Layer_1/ Childhood(4)

 影は青黒い肌をした化物と化し、太くごつごつした腕で中空のユークリッドに掴みかかろうとする。ユークリッドは警棒を握っていなかった片手で銃を抜くが、銃一丁でどうにかなるような数ではない。そう、君の影から突如として現れた、死者を思わせるお化けは、君が空中に浮かんだ一瞬で通路を埋め尽くさんばかりにあふれ出していたのだ。
 落下予測地点の死者を撃ち抜きながらも、ユークリッドの表情が歪む。このままでは、囲まれてなす術もなく殺されてしまう――!
 そう思った瞬間、黒い風が吹いた。
 最低でも、私の目にはそうとしか見えなかった。
 だが、そう見えたのは私の目が突如として現れた「それ」の動きを捉えられなかっただけだと、次の瞬間にわかった。ユークリッドの周囲を囲んでいた死者の群れの頭が、一斉にずるりと胴体から落ちて、鮮やかに輝く花びらと化したことで。
 今の黒い風は、姿のない「風」などではなかった。瞬き一つの間に群がる死者全ての首を落とす、刃の一閃だったのだ。
『……一体、何が……!?』
 ピンチから一転、ばたばたと倒れこみ花びらを散らして消えていくお化けの群れを前に、着地したユークリッドも明らかに狼狽している。今、何が起こったのかは、ユークリッドの目でも捉えられなかったに違いない。
 ――それとも、全く、見えていなかったのか。
 おそらく後者であろうことは、私の耳にのみ聞こえる声の響きで判断できた。
『なるほど』
 いつの間にか、ユークリッドと背中合わせに立っていたのは、案内人の少年だ。その片手には、大振りのナイフが握られている。素人の私でも、それが肉と骨を断つことに特化しているのだと一目でわかる、使い込まれたナイフ。
 ユークリッドには見えないわけだ。案内人の姿は、基本的に私とクロウリー博士にしか視認できない仕組みなのだから。
 それにしても、案内人が自ら試行に干渉してきたのは、これが初めてだ。案内人はあくまで案内人、己からユークリッドの試行に手を貸すことはない、そう宣言していたはずだ。
 案内人がどのような表情をしているのかは、目を覆う機巧仕掛けの装置のせいでよくはわからない。ただ、引き締められた唇は、私にもはっきりとわかる張り詰めた緊張に満ちていた。
『……これは、おかしいな』
「何がだ」
 私の問いに、淡々と、しかし彼にしては妙に饒舌に、少年の姿をした案内人が告げる。
『この塔は、彼を無意味に殺し続けるようにはできていない。彼が立ち向かうのは試練という名の経験でなければならない。試行錯誤を繰り返しながらでも、超えられる障害でなければ、意味がない』
 ……確かに、そうだ。
 今までは、一見、突破不可能に見えるような状況でも、ユークリッドがあらかじめ持っている能力と私に見えている情報、そしてその場におけるルールや条件を利用すれば切り抜けられるものだった。もしユークリッドが死ぬことがあれば、それはユークリッドか私の判断ミスによるものだ。
 しかし、今の襲撃は明らかにその範疇を超えている。どう足掻いたところで、ユークリッドに勝ち目はなかった。試行錯誤したところで、どうしようもない。
 そして、案内人の少年も同じ結論を出している、ということは。
「今の襲撃は、君も想定していなかった。そういうことか」
『そうだ。このような状況は、本来ありえない』
 ありえない、と。少年は言い切ってみせる。
 なら、今の現象は一体何だったというのか。案内人にもこの状況の理由はわからないというのだから、この試行自体に異常が発生しているのは間違いない。
 果たして、このまま試行を進めていいのか? 正しくユークリッドの記憶を取り戻すことはできるのか?
 己の無知と無力を噛み締める。私はただ、目の前に示された規則に従って、ユークリッドを導く観測者でしかない。このモニタの奥で真に何が起こっているのかを分析することもできやしないのだ。
 その時、私の視界に映る索敵網に、お化けとは違う光が飛び込んでくる。それと同時に、呆然としていたユークリッドが、はっと顔を上げた。
 床に、波紋が広がる。音もなくそこに降り立ったのは、白い衣をまとい、花を思わせる髪飾りで長い黒髪を結った少女。ユークリッドのそれよりも濃く、深い、柘榴のような赤を湛えた瞳が、暗い熱を帯びて君をひたりと見据える。
『流石にやりすぎたみたいね。管理側から干渉されては、意味がない』
「ガーデニア」
 私は思わず呼びかけていた。案内人も、ガーデニアの方に顔を向けて、小さく唸る。
『階層の試練は全て守護者に一任されている。だが、管理側の制約を超えた試練を設定はできないはずだ。……何をしたのか、聞いてくれないか』
 僕の声は守護者には届かないから、と。少年は言う。だが、私が案内人の言葉を復唱する前に、ガーデニアの視線がユークリッドから外される。
『誰か、そこにいるの?』
 その言葉には、案内人の少年の方が驚いたようだった。機巧めいた表情の中に、僅かな動揺が見てとれた。
 ただ、その言葉の意味はユークリッドには伝わらなかっただろう。油断なく警棒の柄に手をかけながら、ガーデニアに言葉を投げかける。
『誰か……とは? ダリアさんのことではなく?』
『ああ、あんたにはわからないでしょうね。観測者じゃない。強いて言えば、この試行を管理している側の「誰か」』
 ガーデニアには、見えていない。見えていないはずなのに、その赤い瞳が、ユークリッドの側にいる案内人の少年に向けられているような錯覚に陥る。
『連中を片付けた手際から見るに   かしら。あんたの記録に、   が欠けているなんて、ありえないものね』
 ガーデニアの言葉に混ざる雑音は、案内人の名前だろう。しかし、私が未だ彼の名を知らないから、それは意味のないノイズとしてしか伝わらない。もちろん、ユークリッドにも。ただ、案内人の少年だけが、一瞬前までの動揺を抑えこんで無表情にガーデニアを見つめる。
 私はユークリッドの前に立ちはだかるガーデニアに向けて、疑問をぶつける。
「一つ質問させてくれ、ガーデニア・ガーランド! あなたはこの階層を掌握している。だが、役割を超越した権限は与えられていないはずだろう?」
 ガーデニアに、私の声が聞こえていないわけがない。だが、軽く眉を動かして腰に手を当てただけで、それ以上の反応を示そうとしない。私は上手く浮かばない言葉を何とかひねり出しながら、問いを重ねていく。
「本来は、ユークリッドを確実に殺すような手段を取る権限も持たない。なのに、あなたは今、ユークリッドを圧殺しようとした。一体、あなたは何をしたんだ、ガーデニア」
 ガーデニアは、そこで初めてちらりと私の声が聞こえる方向――天井に視線をやった。だがそれはあくまで一瞬のことで、すぐに視線を切ってユークリッドに向き合う。ただ、
『私がその問いに答える理由がある?』
 低い、突き放したような言葉を残して。
 確かに、ガーデニアからすれば、私との対話には意味がない。ガーデニアが意識するのは、あくまで、ユークリッドただ一人だ。この場にいるガーデニアは、かつての君の記録から形づくられ、君の記憶に還元される存在なのだから。
 理解はできる。だが、納得はできない。納得してたまるか。
「あなたのしていることは、ユークリッドの記憶を取り戻すための障害でしかない。彼を永遠にこの塔に閉じ込めるつもりか!」
 私の言葉に、ガーデニアは少しだけ笑ってみせた。嘲笑、という言葉が相応しいであろう、笑い方で。
『それの、何が悪いというの?』
「……何?」
『だって、私の望みは、』
 言いかけて、ガーデニアは口を噤む。何か、苦いものを噛み締めてしまったような顔をして。そして、吐き捨てるように続ける。
『それこそ、伝える意味のないことね。残念だけど、先ほどのやり方は管理側に制止されるということも、わかったし』
 ゆるり、と。ガーデニアが素足で一歩を踏み出す。音もなく広がる光の波紋が、ユークリッドの足元で弾けた、刹那。
『やっぱり、正攻法で、叩き潰すしかないみたい』
 ガーデニアの姿が、ユークリッドの鼻先に現れていた。瞬間移動と見まごうばかりの高速移動。その速度に乗せた手刀が、ユークリッドの喉元を狙う。だが、ユークリッドもさるもの、ガーデニアより僅かながら優れている脚力で、一瞬で詰まったはずのガーデニアとの距離を突き放す。
 ふん、とガーデニアが鼻を鳴らす音が聞こえた。ユークリッドは困惑を表に浮かべながらも、改めてガーデニアと対峙する。かたや白々とした手足を晒した少女、かたや銀糸を散らす漆黒の軍服を身に纏い手に警棒を握り締めた青年。
 二人の立つ場所が仮想の空間であると理解している私ですら、二人の間に漲る張り詰めた空気を肌で感じる。
 あくまでだらりと手を下げた、自然な姿勢をしたガーデニアは、ちらりとユークリッドの傍ら、そこにいる案内人の少年を見やる。まるで、彼女に見えないはずの少年の姿が、はっきりと見えているかのように。
『ここからは、手出し無用よ、   』
『言われなくとも』
 少年はガーデニアに聞こえないとわかっていても、言わずにはいられなかったのだろう。ほとんど口の中で呟いてから、よく通る声で私を呼ぶ。
『観測者』
「何だ」
『今回の試行は明らかに異常だ。警戒を怠るな。僕は原則的に管理側の――クロウリー博士の指示でしか動けない。もしくは、観測者の要請でしか』
 一度言葉を切ってから『後者には制限があるけれど』と付け加える。例えば、正当な試練でユークリッドの命が危険に晒されても、決して案内人は手を出さない。今回が本当に特例だっただけで、基本的には案内人の試行への介入はないものと考えるべきだ。
 ――だが、試行そのものが、本来の機能を失い始めているとしたら?
 案内人もまた、同じ危惧を抱いているのだろう。ガーデニアとユークリッドの間の張り詰めた空気とはまた別に、研ぎ澄まされた刃のような気配を醸し出しながら、ぽつぽつと語り続ける。
『もし、あなたが異常と判断するならば、僕を呼んでくれ。僕の権限で可能な限りは対応する。もし、それ以上の逸脱があるとすれば』
 ――管理者によって、試行が初期化されるだろうけれど。
 その言葉は、私の内側に鈍く響いた。
 これが最後。そう決めたはずだったというのに。
 ユークリッドの真意も知らぬまま、全てが終わってしまう可能性があるというのか。
 そんな私を取り残したまま、ユークリッドとガーデニアの戦いが、始まる。

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