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XXXの仮想化輪廻 - Side: Dahlia

Layer_1/ Childhood(1)

 ――これから行う試行の名称は『再誕儀式プログラム』。
 最初に、カメリア・クロウリー博士はそう言った。観測者たる私だけに。
 RIP。再誕の名を冠しながら、同時に死をも意味するらしい三つのアルファベットが、モニタの端に映し出されている。
 仮想世界の内側で微笑むクロウリー博士は、淡々と、淡々と、つくりものらしい無機質さで、あらかじめ記録されていたのだろう言葉を紡いでいく。
 ――本来、観測者も『私』が兼任する予定でしたが、私がそこにいないということは、不測の事態が起こった結果でしょう。しかし、何一つ問題はありません。
 柔らかな髪と白衣の裾を揺らし。
 博士は観測者たる「私」をモニタ越しに見上げて、不意に傀儡に魂が宿ったかのような、妖艶な笑みを浮かべる。
 ――さあ、彼の「再誕」を見届けましょう?
 
 
 地階で準備を済ませたユークリッドが扉を潜ると同時に、モニタが一瞬暗転したかと思うと、四度目となる「第一層」の入り口を映し出す。
 真っ白な、無機質な回廊。今回は、扉を越えた瞬間から、四つの分かれ道を持つ迷宮としてユークリッドの前に立ちはだかっていた。
 この塔は「塔」という名で呼ばれているし、外から見ると真っ直ぐ空に向かって伸びる塔の形に見えるが、内側は広さをはじめとした物理的制約を完全に無視した空間になっている。この空間を「現実」と思っているであろうユークリッドは、目深に被った帽子のつばを持ち上げた姿勢のまま、呆然とその場に立ち尽くしている。
 そして、
『ようこそ、第一層――「幼年期」へ。どうせ、君は僕の声も聞こえていないのだろうけど』
 空漠の世界に凛と響く、凍りついた声音。声色だけ取ればユークリッドのものとよく似ているけれど、感情が読み取れない平坦な喋り方はさっぱり似ていない。
 ユークリッドを見上げているのは、一人の少年だ。
 年のころは十四、五歳くらい。つややかな黒い髪、形こそ異なれどユークリッドの帽子や服と同じように銀糸で羽の紋章が縫い取られた黒い服、そして目を覆う奇妙な機巧仕掛けの装置。背筋をぴんと伸ばしたその姿は、さながらよくできた機巧仕掛けの人形のようですらある。
『君は、取り戻そうとすることを止めないんだな。それとも、止めさせてもらえないのか』
 そう言った少年は、私の方に視線を向けるものの、装置に覆われているせいで、彼の目がはっきり私の姿を捉えているかどうかは判別しがたい。ただ、その口元もユークリッドのそれとよく似ていて、彼もまた「ガーランド」の名を持つ子供なのだろう、という推測は立つ。あくまで、推測を超えることはないのだけれど。
『観測者、あなたも諦めが悪いな』
「ああ。それだけが取り得だからな」
 口元だけで笑ってやるが、少年はにこりともしない。表情豊かなユークリッドとは酷く対照的な反応だ。
 そして、私の声も、少年の声も、ユークリッドには届いていないはずだ。ユークリッドはやっとのことで我に返って、自分の立っている場所について少しでも理解しようときょろきょろと辺りを見渡しているところだった。すぐ側に立つ少年の姿に目を留めることもない。
 最初の試行で少年自身が語って曰く彼は「案内人」であり、観測者にこのシステムのルール、観測者の権限と制限を伝え、観測者の質問に答える役割を負っている。また、案内人に対して対話を試みている際はお互いに声がユークリッドに届かないように出来ている。
 とはいえ、もう四回目の試行だ、案内人の彼にシステム上の権限や制約について聞くこともない――いや、そういえば、一つ、聞いてみたいことができたのだ。地階で見かけたクロウリー博士は、おそらく一種の映像記録に過ぎないのだろう、今回もまた一方的に語るだけで話は通じなかった。しかし、この少年なら話を聞いてくれるかもしれないという望みを篭めて、問いを投げかける。
「案内人、君は、今までの試行を把握しているのか?」
 少年は一体何を聞くのだ、と微かに眉を寄せたようだったが、すぐにすらすらと答えを返してくる。
『システム上、試行回数だけは開示されているから、過去三回の試行が失敗したのは理解している。でも、その過程についてはシステム全体で初期化されている以上、僕が把握する余地はない』
「なるほど……。しかし、本当に初期化されているのか?」
『それは、どういう意味?』
「彼は、私の名前を『覚えている』と言った。何となく引っかかっているという程度だが。彼がヒース・ガーランドであった頃の記憶を断片的に残している、というならまだわかる。だが、私に関する記憶は、試行のたびに確実にリセットされる記憶のはずだ」
『…………』
 少年は、口元に手を当てて黙り込んだ。しばし、思考の海に潜っていた彼は、やがてぽつりと呟いた。
『僕は、ヒースじゃない』
「ああ、それはわかっているつもりだ。君は君だ。彼ではないし、当然、かつての彼でもないのだろう」
 この少年は確かにユークリッドによく似ている。ガーランド、と呼ばれる子供たちの姿は何人かこの塔の中で目にしたが、その中でも最もよく似ているのではないかと思われる。口元しか見えていない、今ですら。
 それでも、この少年が君――ヒース・ガーランドとは別人であることだけは確信している。私が全ての記憶を取り戻した君とまともに対話できたのは第三試行の最後、一瞬だけだったが、君は少年とは全く違う表情と喋り方をしていた。酷似しているだけに一部の「違い」がくっきりとした陰影として浮き出ている、そんな感覚だ。
 ただ、少年が言いたいのは私の思っているようなことではなかったのかもしれない。ふん、と小さく鼻を鳴らして言う。
『ヒースじゃない以上、僕はプログラムの全容を把握できない。この再誕儀式プログラムは、何もかもがヒースの記録を元に形作られていて、僕も記録から形作られた残影でしかない』
「……そう、だったな」
 守護者たちと同じく、この少年だって、ヒース・ガーランドという人間が残してきた記録と高度な演算によって人らしく振舞う仮想の存在だ。そう、何度も己に言い聞かせていながら、彼らの言葉を聞いているうちに、つい、彼らがそこに確かに存在している人間なのだと錯覚してしまう。
『厳密に言えば、プログラムを構築したクロウリー博士だけは別だろうけど、彼女は第三層に到達しない限り観測者の質問にも応答しない。確かめたければ、先に進むしかない』
 なるほど、と腕を組んだところで、ユークリッドが、不安げに私の名を呼んだ。今のところ私しか頼れる者がいない君にとって、私の声が聞こえなくなるのは相当な不安なのだろう。ここは話を終わりにして、ユークリッドに意識を戻す必要がある。
 そう思いながらも、一つだけ。姿を消そうとしていた案内人に問いかける。
「すまない、もう一つ」
『何?』
「君の名前を教えてくれないか」
 私は、この少年の名前を知らない。今までの試行では「案内人」と聞いてそれで納得してしまったけれど、今までの会話で、彼もまたヒース・ガーランドの「関係者」であることは確信できた。彼にも、単なるプログラム上の案内人ではなく、人としての名前があるはずなのだ。
 それでも、少年はつっけんどんな――けれど、今までの無機質さと比べると、幾分人間らしい態度で言う。
『試行を成功させれば、嫌でもわかる』
 少年は私に向かって背を向け、しかし一瞬だけ振り向いて、薄い色の唇を開く。
『あなたなら、もしくは、ヒースに……』
 けれど、最後までその声を聞く前に少年の姿は見えなくなってしまった。
 ――私が、ヒースに、何だというのだろう?
 もちろん、案内人である以上、私が必要とすれば姿を現すだろう。とはいえ、一旦少年のことは横において、目の前のことを一つずつ片付けるべきだ。
『ダリアさん? あの、聞こえてますか?』
 悲痛な声を上げるユークリッドに、「ああ、聞こえている」と声を返すと、ユークリッドは露骨なまでの安堵を見せた。強張っていた肩がすとんと下りて、軍帽の下で白い眉を下げる。
『ああ、よかった。こんなところに一人で取り残されたのかと思って、不安だったのです』
「大丈夫だ。私は君を見捨てない。絶対にだ」
 ユークリッドは、真っ赤な目をぱちぱちとさせて、呆気に取られたように私を見上げて、それから――泣き出しそうな顔で、笑った。
 どうして。
 どうして、そんな顔をするんだ。
 つい言葉を飲み込んでしまう私に対して、ユークリッドは、その不可思議な表情のまま、胸元を押さえる。
『不思議ですね。嬉しいのに、胸が引きつるように痛いんです。ダリアさんの言葉を疑いたくなんてないのに、認めるのが怖いんです。どうして』
 ――どうして、こんな気持ちになるのでしょう?
 ユークリッドの問いは、多分、私にではなくて、自分自身に投げかけたものだ。
 だから、私には答えられない。この塔を探索するという経験を通して、君自身がその理由を思い出さなければならない。
 だが、君がそのように感じる理由を、私は知っている。
 ユークリッド――否、ヒース・ガーランドは、人間という存在そのものに対しては好意的でありながら、個人に対する好意には懐疑的であり続けた。他人から自分に向けられる好意も、そして、自分が他人に向ける好意も。
 その「懐疑」の根源となっているものが、
「ユークリッド、避けろ!」
 モニタの端から、ユークリッドに迫っていた。

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