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XXXの仮想化輪廻 - Side: Dahlia

Layer_0/ Reboot(2)

『あの』
「……ああ、すまない。少し、ぼうっとしていた」
 この思いも、まだ、君には伝えられない。このプログラムにおける私の役目は、君を外側から観測し、プログラムの最終目標に導くことであって、私のわがままを語ることではない。ただでさえ混乱している君を、これ以上混乱させるのは私の本意じゃない。
「君の質問に、一つずつ答えていこう」
 一つ、君の位置情報について、正確なことは何一つ答えられない。
 君の意識が仮想の空間に展開されていることは、私からは伝えられない情報の一つだから。それに、私がいる場所の位置情報を伝えることができたところで、何も知らない君はきっと理解できない。
 一つ、君が何者かという質問にも正しく答えられない。
 確かに私は、君の名前を知っている。君がどんな生涯を辿ったのかを、断片的ながら垣間見ている。それでも、これは君が己が手で取り戻さなければならない。そのためのプログラムなのだ。
 当然、こんな答えで君は納得するはずもないことは、よくわかっている。もし私が君なら、きっと私を問い詰めていたと思う。もっと納得できる答えをよこせと。
 けれど、君は唇を引き締め、少しだけ真っ白な眉を寄せるだけ。その目には、戸惑いと、不安が揺れている。これは過去の試行でもそうだった。君はいつでも、曖昧な答えしか返せない私を激しく問い詰めたりはしない。代わりに、一体その胸の中にどんな感情が渦巻いているのか、私は知りえない。
 しばし、沈思していた君は、やがてふっと顔を上げて、見えていないにも関わらず、真っ直ぐに私を見つめてくる。
『……では、もう少しだけ、質問させてください。あなたは、誰ですか?』
 ずきり、と。胸が痛む。
 初期化されていると頭でわかっていても、忘れられてしまったという事実を突きつけられるのは、やはり、辛い。
 それでも、君にとって、私は初めて言葉を交わす相手なのだ。それを己に言い聞かせながら、出来る限り動揺を覆い隠して声だけを伝える。
「私の名はダリアだ。ダリア・シャール・バロウズ」
 ダリア。それは、君の使う言葉では「花の名」であるらしい。私はその名で咲く花を知らないけれど、君は緊張に満ちていた表情を少しだけ和らげて、微笑んでみせる。
『たくさんの花びらを持つ、華やかな花の名前ですね。素敵な名前です』
 笑顔と結びつくそれは、きっと、君の言葉通りに華やかで美しい花なのだろう。そう、信じている。
 そして、君はぱちぱちと目を瞬かせ、微かに首を傾げる。
『それに……、どうしてでしょう。あなたの名前を、声を、知っているような気がするんです』
 私のことを――覚えて、いる?
 その言葉を聞いた瞬間、モニタに飛びついていた。どうして君に触れることができないのか。その肩を掴むことができないのか。どうしようもないもどかしさを感じながらも、夢中で声を上げていた。
「私について、何を覚えている?」
『えっ』
「名前と、声と、他に思い出せることはないか?」
『えっ、ええっと』
 堪えきれない思いは、かろうじて、君にも通じる言葉には変換できていたようで、モニタの内側で君はわたわたと慌てだす。
『その、すみません! 何となく、知っているような気がしただけで、何かを思い出せたわけじゃなくてっ!』
 明らかな戸惑いを見せる君を見ていると、こちらは逆に冷静になれる。もう四回目だというのに、どうも気分が昂ぶってしまう。高鳴る胸を落ち着かせるためにも、一つ、深呼吸をして。
「ああ、こちらこそ、すまない。君を困らせるつもりは、なかったんだ」
 ただ、純粋に、嬉しかったんだ。
 かつてのヒース・ガーランドを知らない私が、まっさらな「君」に、ほんの少しでも何かを残せていたのだとすれば、これほど嬉しいことはないじゃないか。
 そんな私の声が、君にどのように聞こえたかはわからない。わからなかったけれど、君は、何もかもわからない不安の中にあるにもかかわらず、はにかむように、ふわりと微笑んでみせるのだ。
『……でも、何だか、ほっとしました』
「何故?」
『僕は、あなたを思い出せないけど、あなたの声を聞いていると、不思議と安心するんです。だから』
 真っ白な服の上で、君のしなやかな指が握り締められる。
『きっと、僕にとって、あなたは、大切な人なのだろうなと思って』
 ――だからこそ、思い出せないのがもどかしいんですけど。
 そう言って苦笑する君の目に、私の顔が映らないことを、今ほど感謝したことはない。モニタにうっすら映りこむ私の顔は、それはもう酷い有様だったから。
 だって、そうだろう。私は、君の、ヒース・ガーランドの人生に何一つ関わってなどいない。かつての君は、ほんの少しの間だけ君を導く私よりも、ずっと大切なものをいくつも抱えていた。今の君はそれを思い出せていないだけに過ぎない。それを知っているだけに、君の言葉は胸に突き刺さるようで。
 それなのに、一方では現金なもので、「大切な人」という言葉の温かさに、喜びを覚えずにはいられないのだ。
『えっと、あの、もしかして、変なこと言っていますか?』
 私の沈黙をどう捉えたのか、君は微かに眉を寄せて首を傾げる。その仕草一つひとつを確かに目に焼き付けながら、私は、見えていないとわかっていても首を横に振る。
「いや、そんなことはない。嬉しかったんだ。少しでも覚えていてもらえたこと、私の存在が君に安心を与えられることに。大切な人と、思ってもらえていたことに」
 本当は、もっと上手い言い方だってあるのだろうけれど、私の語彙ではこれが限界だ。こんなことなら、『紫苑の魔女』からもう少しきちんと言葉を習っておけばよかった。仮に私の言葉が通じたところで、どれだけ言葉を尽くしたところでこの思いを正しく伝えられるとも思えなかったけれど。
 それでも、それでも。どうしたって顔や仕草では伝えられないのだ。言葉にしなければ、始まらない。これが最後ならば、せめて後悔のないように、伝えられるだけのことを伝えておきたい。
「今の私は君について話すことを許されていないし、君が記憶を失っている理由も、私が君の姿を観測できる仕組みもはっきりとはわかっていない。ただ、一つだけはっきり言えるのは、この場所が、君の記憶を取り戻すために必要な場所であるということだ」
『この場所、って、この部屋が、ですか?』
「いや、君が目覚めたことで、部屋の扉は開かれた。君の記憶はこの外にある」
 私はモニタの上に指を走らせる。片隅に表示されていた赤いボタンに触れると、壁のようにしか見えなかったそこに扉が生まれて、横に開く。これも四度目になるが、当然記憶しているはずのない君は、驚きに目を丸くする。
「さあ、部屋の外へ」
 君は、ごくりと息を呑んで、一歩、足を踏み出す。白い裸足が部屋の敷居を跨いで、君は眼にすることになる。
 硝子の天井の向こう側、描かれた灰色の空に向けて聳える、窓ひとつない巨大な塔――かつての君、ヒース・ガーランドが残した膨大な記録から生成された、広大な記憶の迷宮を。
『あれは……、塔、ですよね』
「ああ。そして、君の記憶そのものだ」
『塔が、ですか?』
 不思議そうに君が問うてくる。ただ、その声には、突拍子もないことを聞かされたことをいぶかしむ思いの他に、何か別の感情が混ざりこんでいるように思われた。
「今、君から失われているものは、全て、あの塔の中に封じられている。何故かは私も知らないが、あの塔は君のために存在し、ずっと君を待っていた」
『ずっと、僕を……』
 ぽつり、君の呟きが、すぐ耳元で聞こえる。
『あの塔に、記憶が封じられてるなんて、非現実的だとは思うんです。でも、ダリアさんの言葉が嘘じゃないってこともわかります。僕にとっての大切なものがあの塔の中にあると、伝わってくるんです』
 理由も、根拠もないけれど、と。付け加えた君は、軽く唇を噛み締める。きっと、何故自分がそんな気持ちになるのかが、わからずにいるのだろう。正直、私も戸惑いを覚えている。
 今回の試行は、今までと、何かが違う。
 今まで、君が私やこの塔での記憶を思い出すことはなかった。試行が失敗した――管理役のクロウリー博士がそう判断した時点で君の記憶は初期化され、何もかもを忘れた状態で次の試行が開始される、そう認識していたし、クロウリー博士もそのように説明していたはずだ。
 だが、君は、おぼろげながらに私の名を記憶していて、塔の持つ役割も理性とは別の部分で把握している。
 この「違い」に、何か意味があるのだろうか。クロウリー博士の気まぐれだろうか。それとも。
 刹那、モニタにノイズが走る。何かプログラムに問題が起こったのか、と不吉な予感が背筋を走ったその時、ノイズに覆われた君の姿に何かが被さって見えた。黒い髪の、君とよく似た背格好の、何者か。
 ……君は、誰だ?
 私の声にならない思いに応えるように、私に背を向けていた「何者か」はこちらを振り向く。その、私を真っ直ぐに射抜く深紅の目は、君の――。

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