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XXXの仮想化輪廻 - Side: Dahlia

Layer_0/ Reboot(1)

 モニタの向こう側で、君が、目を覚ます。
 淡く血管を透かした真っ白な瞼が押し上げられて、その下の、鮮紅に燃える瞳が顕になる。眩しさに耐え切れなくてすぐに目を覆ってしまうのも、毎回全く同じでちょっとおかしみを感じる。
 ――ただし、今回ばかりは、「同じ」であることに鈍い胸の痛みも覚える。
 そう、また、同じ場所から始まるのだ。
 音を立てないように気をつけながら、長い耳を覆うヘッドフォンと口元のマイクの位置を確かめる。その間にも寝台の上で体を起こした君は、忘我の表情で白く閉ざされた部屋を見渡し、そしてにわかに慌てだす。
 覚醒した意識が、己の置かれた状況をやっと理解したようだ。生半可な理解は混乱しか生まないことも、今までの君が教えてくれている。
 だから、私はそっと、マイクに向かって声をかける。
「おはよう」
『おはようございます……っ!?』
 声をかけた時、反射的に返事をしてしまってから、びっくりしてきょろきょろとあちこちを見渡す姿も何一つ変わらない。そんな君をこれ以上脅かさないように、できるだけ優しく聞こえるように、声をかける。
「よかった、目が覚めたか。気分はどうだ?」
 最初は、声をかけるのもおっかなびっくりだった。何しろ、君に私の言葉が通じるかもわからなかったから。
 あらかじめ『紫苑の魔女』から言語を教わっているとはいえ、彼女の言葉を借りるなら「言葉は生き物」だ。彼女から教わった言葉は既に失われている「死んだ」言葉であり、君がその澄んだ声で喋る言葉とはいささか異なるように聞こえたのだ。
 それでも、私の言いたいことがある程度君に通じるということはわかったし、君と話している間に身についた言葉も多い。君の話している言葉が、私が教わったそれと比べて丁寧な言葉遣いであることも、わかってきた。
 君は私の位置を探すのを諦めたのか、ふと息をついて天井を見上げた。真っ赤な、身の内側に流れているはずの血の色をそのまま映した虹彩が、そこにはいない私の姿を映しこんでいるように見えて、どきりとする。
『気分は特に問題ありません。しかし、ここは一体どこでしょうか。それに』
「それに?」
 
 そして、君はまた、こう言うのだ。
 
『僕は、一体、誰なのでしょうか』
 
 ずきりと、胸が、痛む。
 見えない私を見ようとする赤の瞳はどこまでも透き通っていて……、今まで取り戻してきたもの全てをどこかに置き忘れてしまった、空っぽな色でもあって。
 動揺を、せめて君には気づかれないように、ゆっくり呼吸を整える。
 
 君は、誰なのか――今の私は、その答えを知っている。
 
 君の名前はヒース・ガーランド。
 ヒースというのは、私の知らない「荒野に咲く花」の名前で。
 滅び行く世界に生み出された人造のヒト、ガーランド・ファミリーの第四番。
 
 けれど、それを、私の口から伝えることはできない。伝えようと試みたところで、君自身が「理解」するステップに至っていない限り、君の耳には届かない。それが、観測者である私に課せられている、面倒くさい制約の一つ。このプログラムにはあまりにも制約が多くて、当初はそれらを把握するだけでも一苦労だった。
 でも、それも、随分昔の話のように思えてくる。
 実際には、まだ、試行を始めて一週間も経っていないというのに。
 いや、本当の始まりは、それよりもずっと過去の話だ。私は、君の映るモニタから目を離さないようにしながらも、横に置かれた棺に触れる。
 分厚い、硝子のように見える透明な蓋の内側には、一人の人間が眠っている。透けるような白髪につくりものめいた白い肌、閉ざされた瞼の裏は、きっと、モニタの中の君と同じ、色鮮やかな赤をしている。
 君は知らないだろう。私が、どれだけ君のことを思って生きてきたのか。
 君との本当の「出会い」は、忘れもしない、私が十二の頃。
 裏手の森に薬草を摘みに出た私は、採取に集中するあまり、両親に禁じられていた森の奥深くにまで踏み込んでしまっていた。気づけば、足元を深々と覆う苔と草とで来た道すらも隠されて、鬱蒼と生い茂る木々の間を、べそをかきながらさまよい歩くことしかできなかった。
 そうしているうちに見つけたのが、君が眠り続けていた、この洞穴だ。
 今ならば、それまで岩盤で覆われていた入り口が長い年月を経て風化し崩れたのだと冷静に分析もできるが、当時の私は、人の気配の感じられないぽっかりと開いた闇色の穴が酷く恐ろしかったと思い出す。
 それでも、行く当てもなく、その頃には暗い空から大粒の雨まで降り始めていて。私は恐る恐る、明かりを灯して洞穴に踏み込んだ。せめて雨に濡れない程度の位置に陣取って、膝を抱えてうずくまっていることしかできなかった。
 その時だ。視界の端に、何かが光ったと感じられたのは。
 こちらの明かりを照り返した獣の瞳とも思われて、私は息を呑んだ。でも、それは正しくないということくらいは、幼い私でもわかった。そのくらい、奥から漏れ出していた光の波長が、私の知るものとは異なっていたのだ。
 冷たい闇の中に踏み込む恐怖と、むくむくと首をもたげる好奇心とを秤にかけた結果として、私は、おっかなびっくりではあるが、そちらに向かって這っていった。ゆらゆらと頭の上で揺れる私の明かりと、ちかり、ちかりと思い出したように輝く青い明かりが、洞穴の中に不思議な陰影を浮かび上がらせていた。
 やがて、私は、洞穴の最奥にまで入り込み――青く輝く光の箱を、見つける。当時の私は、それが「モニタ」と呼ばれることも知らない。ただ、青地に白の奇怪な模様を明滅させる不気味な箱としか思われず、背筋がぞくりとしたことだけは、よく覚えている。
 だが、次の瞬間、その箱のすぐ横に横たわっていた「それ」に気づき、暗闇も、洞穴も、得体の知れない箱も、何もかもを忘れてそこに跪いていた。
 ある程度の知識を得た今でも、私は「それ」を呼ぶ正しい言葉を知らないままでいる。
 だが、私の感覚から言えば、「それ」は「棺」に見えた。
 硝子張りの棺は、物言わずに私の前に横たわっていて。頭の上の明かりを強めてみれば、その内側に何者かが閉じ込められているのが、はっきりとわかった。
 それが、今もなおこの硝子の棺の中に眠る、君だ。
 真っ白な、言葉通りに頭の先から爪先までが真っ白な、男性。一糸纏わぬ姿で横たわる君は、よくできた人形――否、それ以上にうつくしい。私は見てはいけないものを見てしまった、という禁忌の念と、それ以上の熱い思いに、胸を高鳴らせていた。
 ――死体? それとも、人形?
 君のうつくしさは、人形、と考えた方がよっぽど納得できたと思う。でも、それにしては肌はきめ細かく、微かに白い産毛が生えているのも見て取れて。どう見ても肉と骨からなる人間にしか見えなかったのも、事実。
 ならば、死んでいるのだろうか?
 一刻も早く呼吸を、その身の内側に血が通っているのかを確かめたいと思ったけど、当時の私には叶うはずもない。硝子の棺には継ぎ目が見当たらず、どうすれば棺を開くことができるのかなんて、皆目検討もつかなかったのだ。
 ただ、仮にその時、君が死んでいると証明されていたとしても、私はきっとその血の気の無い真っ白な顔から目を離すことはできなかったはずだ。
 そう、生死も、人間であるかどうかすらも、関係なく。
 
 ――私は、君に、恋をしていた。
 
 十二の小娘が「恋」だと言っても、信じてもらえるとは思わない。きっと君は、困った顔をして笑うんだろう。しかも、言葉を交わすこともできない相手への一目惚れだ、もし私がこの話を聞かされる側であれば、きっと笑い飛ばしたに違いない。
 けれど、あれから時を経た今でも、この胸に刻み込まれた熱は消えるどころか更に熱く私の胸を焦がして止まない。
 今もなお、硝子の棺の中で眠り続ける白の王子様。幼い頃、母が語ってくれた童話の中から抜け出してきたような、君。
 もちろん、君が王子様ではないことは、もう、私だって知っている。もはや私は子供ではないし、それ以上に、ここまでの試行で突きつけられてきた君の記憶は、それこそ赤裸々に君が何であるかを物語っていたのだから。
 滅び行く世界の人の手によって造り出され、実の姉に息も詰まるような恋をして、今は亡き機械仕掛けの青年と友情を交わし、やがて死を前にして終わらない夢に足を踏み入れていった、遠い日の君。
 最後には、己で己の頭を撃ち抜くことで、全てを否定する君。
 ……私は、その結論に至るまでの君の苦しみを知らない。共に記憶を追体験することはできても、それはあくまで画面を通した「観測」でしかなく、君のように五感を通して「経験」することはできないし、君が思い出した記憶全てを把握しているわけでもない。
 君が最後の最後に己の死を決断する理由も、理解はできない。
 理解できない以上、もう、何もかもを終わりにすべきなのかもしれない。
 私が君に恋をしたのは私自身の問題で、目を覚ましてほしいと思うのは私のわがままだ。
 君が記憶を取り戻した結果として死を望むのであれば、私は君の望みを叶えるべきなのだと思う。これ以上試行を続けることなく、永遠に棺の中で眠っていれば、彼は二度と傷つかなくて済むのだろうから。
 ただ、どうしても。どうしても、納得ができない。
 君は、塔の出口を、このプログラムからの「目覚め」を目指していたはずだ。そう、どの試行でも、最初は不安に押しつぶされそうになりながらも、理不尽な戦いやゲームを強いられながらも、それでも前に進もうとしていたはずだ。
 必ず記憶を取り戻して、プログラムの外側、私のいるこの場所へやってくると約束してくれていたはずだ。
 全ての記憶を取り戻す、その時までは。
 ――ヒース・ガーランド。
 そう呼ばれていた君を、私は知らない。だからこそ、知りたいと望む。問いかけたいと望む。
 君の本当の望みを。私のわがままは、決して叶わないものなのかどうかを、もう一度だけ、この試行を最後に。
 思い出と、望みと。私と君とを結びつけるものを一つ一つ思い返していると、モニタの中の君が、不安げにこちらを見上げていた。

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