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XXXの仮想化輪廻 - Side: Euclid

Layer_1/ Childhood(5)

 思い出す。
 喉の痛みは零れ落ちる花びらと共に記憶を引き出していく。
 そう、あの時も。床に引き倒された僕は、今と同じ大きな双眸に見下ろされていた。
 あの頃の僕は今よりずっと身体が小さくて――そうあることを、僕自身が望んでいたような気がする――僕の上に覆いかぶさった、僕と同じ顔をした彼女を見上げていた。
 その時の彼女の表情を、今の僕は上手く表現することはできない。怒り、そう、仮に一言で表すのであれば「怒り」だったのだと思う。けれど、笑っているようでもあり、泣いているようでもあって。今まで、僕に対して抱いていた全ての感情が、そのうつくしい顔に描き出されていたのかもしれない。
 その頃の僕は、そんなことにも気づけなくて、ただ、震えて固まっていただけだったけれど。何故、彼女がそこまで怒るのかわからずに――否、わかっていても認めることができないまま、ただ、畏怖していた。
 彼女は、僕を組み伏せたまま、僕とよく似た唇から、ハスキーな声を漏らす。
「愛して、いる?」
 ――愛している。
 かつての僕は、確かに彼女にそう告げたのだ。同じ血が流れているはずの、彼女に。生まれた時から道を分かたれていた、彼女に。本来ならば決して触れることも許されない、彼女に。
 禁忌であることを、当時の僕が理解できていなかったはずはない。それでも、この思いを伝えずにはいられなかった。黙っていられない程度には、子供だった。
 その言葉を、僕とは違う立場にいた彼女がどう受け止めるかも、僕には想像できなかったのだ。
 彼女は、僕の肩をぎりぎりと締め付けたまま、貫くような視線を僕に投げかけてくる。そこに篭められた感情が、僕に対する強烈な敵意だとわかっていても、つい見とれずにはいられなかった自分の浅ましさが、今となっては疎ましい。
「ずっと、そうやって、私を馬鹿にし続けていたんでしょ? 成功作様は、硝子の壁の向こうで笑ってればいいの。私に触れないで、近づかないで、変な慈悲をかけないで、そんな哀れみなんて欲しくない!」
 彼女の声は、悲鳴だった。僕を拒絶する悲鳴。肌が触れ合っているというのに、硝子の壁を隔てているかのように、彼女が酷く遠く感じられる。
 それでも、かろうじて、僕は掠れた声で反論する。
「違う……」
 違う、そうではないのだ。慈悲でも哀れみでもない。僕は、本当に愛しているのだ。あなたを。他の誰でもない、あなたただ一人を。
 僕と同じように造られて、けれど僕と違う場所を見つめていたあなたを。その、遠くを見つめる横顔のうつくしさが忘れられなくて。立場の壁を越えてでも、手を差し伸べたいと思ったのだ。
 それが、「成功作」である僕にならできると、思い込んでいたのだ。
 ――成功作、って何だ?
 頭の中に浮かぶ疑問符に導かれて、記憶が掘り起こされる。
 研究員も、彼女も、そして僕自身も。僕のことを「成功作」だと認識している。彼女は言っていた、僕はつくりものなのだと。人の手によって造られ、誰かの都合のために生きる実験動物なのだと。
 その中でも、僕は、成功作と呼ばれる個体だったはずだ。同じように造られた子供たちの中で、研究者たちが定めた水準を満たした、一握りの個体。実験動物であることには変わりないけれど、それでも人間の真似とごく限定的な自由を許された、選ばれた子供。
 けれど、彼女は、そうではなかった――。
「何が違うっていうの? あんたの『愛』は、自分より弱い奴に向けた哀れみ。自分が選ばれた人間であることへの陶酔、気色悪い自慰行為じゃない」
「違い、ます……」
 違う? 本当に?
 僕自身、僕の感情を理解できなくなり始めていた。あれだけ「絶対」だと思ったものが、彼女の拒絶一つで歪んでいく。恋をしたというのは勘違いだったのではないか。この思いが愛だなんて、思い上がりもいいところなのではないか。
 自慰行為。確かに、そうなのかもしれない。僕はずっと、硝子の壁越しに彼女を見つめ続けてきた。それが恋だと信じて疑わないまま、ただ、彼女の一挙一動に見とれていた。それが、「成功作」である僕自身の優越から来る陶酔だと言われてしまえば、はっきりと否と言い切ることはできない。
 それでも、それでも――!
「違います、僕は、あなたのことが……!」
「うるさい」
 ごきり、という嫌な感触。
 喉を潰されたのだ、と気づいた瞬間に、痛みに悶絶する。その一方で、「僕」はその時のことを冷めた感覚で判じている。
 そうだ、彼女だって僕と同じ、造られた人間で。当然、僕にできること、否、その頃の僕にはできなかったことも可能だった。彼女は「選ばれた」子供ではなかったけれど、当時の僕よりはずっと優秀だったのだ。
 彼女は、悲鳴すら上げられない僕の身体を裸足で蹴飛ばす。無様に床の上を転がり、うつぶせになって何とか呼吸をしようともがくが、痛みと喉の異常は、完全に僕の自由を奪っていた。
 そんな僕の真上に立った彼女は、
「二度と、私の前に立てないように」
 僕の髪を掴み、無理やりに顔を上げさせて、
「その綺麗な身体に、教え込ませてあげる」
 鋭い犬歯をその唇から覗かせ、僕を嘲笑し――。
 
 
『ユークリッド!』
 はっ、と、意識が覚醒する。
 刹那、目前に迫っていた拳を、ぎりぎりのところでかわす。彼女の拳が頬を掠める感触にひやっとしながらも、バックステップで距離を取る。
 大丈夫か、と切羽詰まった声で呼びかけてくるダリアさんの声。背筋に走る怖気は、目の前の彼女がもたらしたものか、それとも今僕が垣間見た「記憶」によるものか。全身から力を奪おうとするそれらを意識の力で抑え込んで、喉を震わせる。
「……っ、だ、大丈夫ですっ」
 喉。記憶の中とは異なり、声は出ている。まだ、完全に潰されたわけではない。じくじくと痛むそこを警棒を握っていない手で触れて、傷口の感触を確かめる。手袋に付着した花びらは、不思議と、鉄のような匂いがした。
 そして、同じく距離を取った少女は、背中を丸め、だらりと両手を下げた姿勢で言う。
「ふうん、やる気?」
「え、ええと、別に、あなたとやり合いたいわけじゃないんですけど」
 僕は別に、彼女と戦いたいわけではないのだ。記憶の一部を渡してもらえれば、それでいい。話も通じず、おそらく僕に「思い出させる」ためのオブジェクトでしかない「お化け」と違い、僕と同じように思考する人間である彼女と殴りあうのは、正直気が引ける。
 しかし、彼女は傲然と大きく膨らんだ胸を張って、腰に手を当てる。
「まだ、そんなこと言ってるの? あんた、記憶を取り戻したいんじゃないの?」
 そう言った彼女は、僕に向けて手をかざす。その手の上に浮かび上がるのは、いくつもの輪が重なった、不可思議なオブジェ。言うなれば、天球儀に似ている。空を巡る星の軌道、僕がこの目で見ることのできなかったもの――。
 そんな、霞んだ記憶を振るわせるそれこそが、僕の記憶の一部なのだろう。ばらばらに砕けた記憶を結び、正しい形を取り戻すための「鍵」。
 それを僕に見せつけながら、彼女は言葉を重ねていく。
「どうして、ここに私がいるのかわかる? この塔の存在理由を考えてみた? ただ、三人の守護者に会えば記憶が戻るなんて、都合のよいこと考えているんじゃなくて?」
「……どうして……ですか」
 ちらりと天井を見上げてみるが、ダリアさんは、答えをくれない。今までのやり取りから考えるに、ダリアさんは僕を見守る存在であると同時にあくまで「観察者」なのだ、僕が自分から答えを導こうとしない限り、ヒントを与えることも許されていないのだろう。
 なら、僕は自分で考える必要がある。
 目の前に立っている彼女のことを、今もまだ、完全に思い出すことはできずにいる。それでも、確かにわかることはある。
「僕は、あなたに恋をしていました。けれど、それは実らなかった」
 胸が高鳴り、身体が震える。それは彼女に出会えた喜びであり、同時に彼女に植え付けられた恐怖でもある。彼女は僕を受け入れてくれないどころか、僕という人間を壊す勢いで拒絶した。
 僕が、それ以来、人に触れられなくなる程度には、激しく。
 今だって、彼女を前にしているだけで手が震えて、この場から逃げ出したくなる。それでいて、彼女から目を離せないなんて、矛盾もいいところだ。けれど、これが「僕」の本心なのだろう。
 愛している。触れることを許されなくても、まだ、僕は彼女を愛している。
 ただ、その思いは僕の内側にだけあればいい。再び、彼女にそれをぶつけることは、彼女の望むことではないだろうし、僕も、もはや彼女と結ばれることなど望んではいない。
 それならば、彼女がここにいる理由は――。
「……一つ、確認させてください」
「何?」
 いらいらとした様子で、彼女は鋭く返してくる。多分、これ以上余計な問いを投げかければ、彼女は僕の頭を再びその拳で粉砕してくるに違いない。
 だから、この確認が最初で最後。怒れる彼女の気配を全身に受け止めながら、胸の中に生まれた核心を言葉にする。
「あなたもまた、僕の記憶の一部なのですね。『僕が恋したあなた』の記憶」
 この塔の存在意義を、ずっと考えていた。僕の記憶が散らばっている、不思議な塔。一から十まで僕のためにしつらえられているらしいこの空間において、何一つ余計なものは存在しないのだろう。
 だから、目の前にいる彼女も、この塔に散らばった「記憶」。僕の愛する人にして、かつての僕の一部。
「そう、本来の私は、こんなところにはいない。何もかも、何もかも。この塔の全てはあんたの記憶から形作られているの」
 塔を徘徊するお化けと違い、彼女と言葉を交わせるのは、それだけ僕の中に「彼女」が確固たるものとして存在していたから、なのだろう。
 そんな彼女が僕の前に現れた理由は、きっと、たった一つ。
「つまり、あなたと戦うことも、あなたに関する記憶を思い出すための通過儀礼というわけですね」
 彼女は口を開かない。ただ、微かに口元に笑みを浮かべた、それが彼女の答えだった。
 僕は彼女のことを、正しく思い出すことはできない。確かに痛みの記憶は引き出されたけれど、それも断片に過ぎず、僕がどうして彼女に恋をしたのか、彼女はその後どうなったのか、それらの記憶は何一つ掴み取ることができない。
 その鍵を、彼女自身が握っているのだから。
「それしか、記憶を取り戻す手段が無いというならば」
 気は進まないけれど、息をついて警棒を握りなおす。記憶を取り戻したいという思いと、それ以上に、早くこの塔から脱出したいという思いが、僕を突き動かす。
 僕を突き動かすものの一つである、ダリアさんの声が、そっと囁く。
『行けるか、ユークリッド』
「……できる限り、やってみます。ここで引いても、逃げ場はないみたいですし」
 仮に目の前の彼女との交戦を回避できたとしても、記憶を取り戻さなければ塔を脱出できないと言われてしまった以上、結局いつかはこうして彼女と向き合わなければならないのだ。
 それならば、今の僕にできる限り、あがいてみるしかない。
 ダリアさんは、ふっと息をつき、穏やかな声で言う。
『その言葉を聞けて安心したよ。君の心が折れない限り、私は君の助けになろう』
「ありがとうございます。心強いです」
 身体は戦い方を覚えているけれど、彼女を相手取るには不足しているのは間違いない。ダリアさんの客観的な視点による助言があるだけでも少し気が楽になる。それに、ダリアさんが僕を見ていてくれる、それだけで心が奮い立つ。
 そんな僕を蔑みの目で見据えていた彼女は、小さな溜息と共に言葉を吐き出す。
「そう、あんたは、やっぱり前に進むのね」
「はい。僕は、記憶を取り戻して、この塔を脱出しなければなりませんから」
 ほとんど生理的な震えを押し殺して、彼女を真っ向から見つめ返す。
 こんな風に、彼女と真正面から向き合ったことが、今まで僕にあっただろうか。ただ思い出せないだけなのかもしれないけれど、もしかすると、これが初めてなのかもしれない。ここにいる彼女が現実の彼女でないとしても、こうして向き合えることに、喜びを覚えるのも、事実。
 彼女は、一瞬呆気に取られたように長い睫毛に縁取られた目を丸くしたが、すぐに手の上に載せていた「鍵」を指の一振りで折りたたみ、握りこむ。
「でも、私は負けない。あんたに記憶を、取り戻させてなんてあげない」
 その獰猛さに満ちた瞳の内に、微かに何か別の感情がよぎる。この感情は、僕に対する――哀れみ?
 何故、彼女が僕を哀れむのかわからずに戸惑いを覚えていると、彼女の唇が、そっと言葉を紡ぐ。
「だって、きっと、その方が幸せだもの」
「……え?」
 僕の疑問符を包むのは、空気にふわりと溶けた、甘い花の香。次の瞬間、息をする間もなく踏み込んできた彼女の、僕の顔めがけて突き出された拳を、何とか警棒でいなす。彼女は素手であるにも関わらず、手に伝わった感触は鋼と打ち合ったかのごとき感触。
 音もなく裸足で降り立ち、床に手をついた彼女は、唸りにも似た音を上げる。
「一つだけ、教えておいてあげる。私の名前は、ガーデニア・ガーランド」
 梔子、既に滅びたうつくしい白い花の名前。ガーランド、というのは「花冠」を意味する言葉。花にまつわる名を持つその人は、それこそ花の咲くような、華やかな笑顔で宣言する。
「あんたの全てを、踏みにじる者よ」

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