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時計うさぎの不在証明

熱に弱い

 酷く暑い朝。対策室の扉を開いた八束は、硬直した。
「おはよー、八束」
 ソファの上に巨大スライムが鎮座し、しかも相棒の南雲の声で喋ったから。
「どうしたんですか!」
「暑くて溶けた」
「治るんですかそれ」
「うん。冷凍庫のアイス取って」
 慌てて青いアイスを取り出し、スライムに渡す。
「あと、どうすればいいですか?」
 もしゃり。見えない口で確かにアイスを咀嚼したスライムは、重々しく言った。
「かき氷食べたい」
「それで、元に戻るんですか?」
「溶けたら冷やして固めるものだよ。あ、スイカバーも食べたいなー」
 
 
「……という夢を見ました」
「夢でもぶれないねえ、俺」
 南雲は、八束が夢の中でも見た、ソーダ味のアイスをもぐもぐしていた。
 
 

南雲臨時講師

 南雲せんせい、と声をかけてきたのは、八束も何度か世話になっている、職員の女性だった。
 八束の横で眠そうにしていた南雲が、重たげに頭を上げる。
「あー、高橋ちゃん」
「教室再開してくださいよ、みんな待ってるんですよ!」
「最近サボっちゃってたもんな。そろそろまたやる、って皆に伝えといて」
 高橋は、俄然顔を輝かせて頷き、小走りに駆けていく。
 その背中が見えなくなるまで見送った後、とりあえず、最大の疑問を南雲に投げかける。
「教室、って何ですか?」
 
「一人暮らしの味方、安くて早くておいしい手作り弁当教室。毎週水曜昼休み開講、受講料はお菓子一つ」
 
「……南雲さん、刑事より絶対そっちの方が向いてる気がします」
「知ってた」
 
 

やつづかのお願い

「南雲さん、お願いがあります」
「仕事以外のお願いなら」
「仕事してください」
 いつも通りのやり取りの後、八束は持っていたチラシを渡してきた。南雲は、分厚い眼鏡の位置を直し、普段から細い目をさらに細める。
「うちの近くのスーパーか。これがどうしたの?」
「こちらを見てください」
 八束は、チラシの隅の一点を指す。
 
 カロリーメイト、五個セット安売り。
 おひとり様一セット限定。
 
「……つまり、お前の買い出しに付き合えと」
「はいっ!」
 八束の主食はカロリーメイトであり、副食はサプリメントである。
 南雲は、そんな食生活の何が楽しいのだろうと思いながらも、期待に満ちた目で見つめる八束の頭を撫でた。
「しょうがないなー、八束は」
 
 

君とシュークリーム

 ソファに腰掛けた八束は、シュークリームを手に取る。
 
 南雲行きつけの洋菓子屋『時計うさぎ』のシュークリームは、表面さくさく内側しっとりのシュー皮に、微かに洋酒が香るカスタードクリームがたっぷり詰まった、特別な味わいだ。
 大きめのそれに、口を広げて食らいつく。
 クリームが漏れないように気をつけていても、なかなか上手く食べられない。
 隣の南雲は慣れたもので、ぺろりと一つ平らげたかと思うと、二つ目に手を伸ばしていた。
 そして。
「クリーム、ついてるよ」
 人差し指で、八束の唇の端をなぞる。
 冷たい感触に一瞬瞑った目を開けると、南雲が、指先のクリームをぺろりと舐め取ったところだった。
「おいしいね」
「はい、おいしいです」
 
 

豊かな人生の第一歩

「今日から、八束食生活改善プログラムを開始しようと思う」
「本当に、いただいていいんですか、南雲さん」
「毎朝家族の分も作ってるからな。一つ増えたところで変わらないよ」
 言いながら、正面の席に座った南雲は「どうぞ」と八束に弁当箱を差し出す。蓋に描かれたピンクのクマさんは、南雲の趣味以外の何物でもないだろう。
 かねてから八束の「必要な栄養を取る」だけの食生活に対し「食事は単なる栄養摂取手段ではなく、人生を豊かにするものだ!」と柄にもなくエクスクラメーションマークつきで力説していた南雲が、ついに八束の食生活改善に乗り出したのだ。
 その第一歩が、昼食の提供である。
 恐る恐る、弁当箱の蓋を開けてみると、目に飛び込んできたのは、色とりどりのおかずに、かわいらしく飾られたおにぎり。しかも、目を楽しませるだけでなく、八束がざっと脳内ではじき出した計算が正しければ、栄養のバランスもよく考えられている。八束を納得させるポイントをきっちり抑えてくる辺りは流石である。
 ほう、と。息を漏らし、自分の弁当の蓋を開ける南雲に視線を戻す。
「南雲さんって、本当に器用ですよね」
「そんなことないよ。八束みたいに、何でもかんでも見よう見まねでできちゃうわけじゃない」
「それでも、好きなことや大切なことを形にして共有できるというのは、わたしにはない、南雲さんの才能だと思います」
 南雲は、一瞬眼鏡の下で目を見張って、それからふいと視線を逸らした。
 もしかして、また変なことを言ってしまっただろうか。ひやひやしていると、そっぽを向いたままの南雲が、ぽつりと言った。
「ありがと」
 ……どうやら、怒らせたわけでは、なかったらしい。
 内心ほっとしながら、手を合わせる。南雲も八束にならうようにして、両の掌を合わせて。
 
『いただきます』
 
 

もう一度、彼に

「シュークリームを六つください」
 
 声をかけてきたのは、洋菓子屋には似合わない、スキンヘッドにスーツ姿の無愛想な男。
 しかし、店主にとっては見慣れた顔だ。
「最近、よく来てくださいますね」
 ん、と。仏頂面のまま、男が頷く。
「ここのお菓子を、気に入ってくれた子がいて」
「ありがとうございます」
 喜ばしいことだ。店主にとっても、男にとっても。
 店主は知っている。かつて、この男がある女性と笑い合っていたことも、その女性が消えて、男が心を殺したことも。
 だから。
「一つおまけしますよ」
「いいの?」
「ええ。ごちそうしてあげてください」
 まだ見ぬ誰かが、男のかつての笑顔を取り戻してくれることを祈り、シュークリームを詰めてゆく。 

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