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時計うさぎの不在証明

お茶の時間

 がらんがらん、という派手な音とともに、八束結の「ぎゃあああ」という声がかぶさって聞こえた。
 思わずそちらを見やった南雲彰は、しまった、と思う。きっと、そんな焦りも表情には出なかったとは思うのだが。
 とりあえず、棚を開けたままのポーズで固まり、目を白黒させている八束の横に立ち、素直に謝ることにした。
「ごめん、八束。後で整理しようと思って忘れてた」
「び、びっくりしました……」
 八束の足元に転がっているのは、いくつもの、紅茶の茶葉を詰めた缶だ。南雲が、菓子と一緒に買ってきたものを、大量に棚に突っ込んでいたために発生した悲劇であった。
「片付けますね」
「いいよ、俺がやるから」
 そうは言ったものの、八束の方が動きは圧倒的に早い。缶の一つを拾い上げた八束は、そのラベルを眺めて、首を傾げる。
「この缶、お茶ですか?」
「そうだよ」
「キャラメルって書いてありますけど。お菓子ではないのですね」
「……八束、フレーバードティーって知らない?」
「それは何ですか?」
 質問に対して、八束は当然の如く質問で返してきた。
 時々、というかよく、こういうことがあるのだ。
 八束の常識と、南雲の常識はかなり食い違っている。生きてきた年月と、場所と、状況が違うのだから、ある意味当然といえば当然ではある。だが、「歩く百科事典」とも称されるほどの知識を溜め込んでいながら、八束は意外なほどにものを知らないところがある。
 とはいえ、軽く引っかかるものがあるとはいえ、それを南雲がどう思うわけでもない。知らないのならば、教えればいい。一度教えれば、その知識は八束の脳内百科の一ページとなり、決して忘れ去られることはないのだから。
「言葉通り、香りをつけてあるお茶。飲んでみる?」
「興味はあります」
 わかった、と言って、キャラメルティーの缶だけよけて、まずは落ちた缶を片付ける。それから、愛用のティーセットを用意する。このティーセットも、粗大ゴミ置き場から拾ってきたソファや冷蔵庫同様、南雲が「快適な秘策生活」を送るために揃えたものだ。
 仕事をするのは億劫だが、対策室にいる時間が一日の大半を占める以上、快適に過ごすための工夫を絶やさないのは大切なことだと思う。係長・綿貫の視線に込められた、切実な「仕事しろ」という念は知らんぷりを決め込むことにしている。
 ともあれ、慣れきった手順で茶を淹れると、ひとまずは砂糖も牛乳も入れずに八束にカップを差し出す。八束は、恐る恐るカップに顔を近づけて、そして驚きに目を見開く。
「あっ、お茶なのに本当にキャラメルの香りがするんですね! すごい!」
 そのストレートな反応に、南雲は自然と目を細めてしまう。多分、笑いたくなったのだろう、と自分自身で分析する。八束には、この感情も正しくは伝わらなかったと思うけれど。
 目を真ん丸にしたまま、八束はしばしキャラメルの香りを楽しんでいたようだが、思い切って、カップに口をつけて……、それから、眉をへの字にした。
「甘く、ありません……」
「あー、まあ、香りをつけただけで、あくまで紅茶だからねえ」
「うう、苦いです、苦いいい」
 八束は、意外と苦いものを苦手としている。茶や珈琲は無糖の方が好きな南雲とは対照的である。予想通りの反応に、どこか安堵すら抱きつつ、南雲は八束の手からカップを取り上げる。
「キャラメルティーは、ミルクを入れて飲むのがスタンダードなんだよ。ミルクと砂糖、入れようか」
 涙目で南雲を見上げた八束は、口をへにょりと曲げて。
「どうか、お願いします……」
 情けない声で、そう、訴えたのだった。

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