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時計うさぎの不在証明 03:ナインライヴス・ツインテール

猫のいる休日

 ――休みの日だからといって、怠けるわけにはいかない。
 八束結にとって、休日とは自己鍛錬の時間に他ならない。朝のカロリーメイトとサプリメント、そしてこの前隣人に差し入れてもらった里芋の煮付け――隣人は見かけによらず和食派だ――を腹に詰め込んだ後は、準備体操からのランニング。それが終われば捜査に関わりそうな書籍の通読と咀嚼。その他にも、休日にすべきことはたくさんあって、そうしている間にも時間はどんどん過ぎていく。
 それらを全て片付けたところで、窓の外を眺めれば、太陽は随分西に傾いていた。日に日に短くなる昼の時間は、冬の到来、そして一年の終わりが近づいていることを意識させる。
 それでも、まだ日が沈むまではもう少し時間がある。
 凝り固まっていた体を軽く動かしてから、靴を履いて、部屋を出る。
 途端、吹き付ける北風に自然と身が震える。そろそろ、学校指定ジャージでは寒い季節だが、走っているうちに体は温まるだろう。そう自らに言い聞かせながらアパートの階段を下りていくと、大家がちょうど猫に餌をやっているところだった。
 今日は、きちんと、いつも目にする猫が全員揃っていることが確認できて、ほっとする。それどころか、今までいなかった三毛猫さんが増えている。
 すると、八束がこちらを見ているのに気づいた大家が顔を上げて、ふっくらとした頬を笑みにする。
「あら、ジョギング? いってらっしゃい」
「はいっ! 行ってきます!」
 快活に返事をして、駆け出す。少しペースを上げ気味で街並みを行きすぎていると、タンポポ色の自転車に乗った金髪の青年とすれ違った。隣人の小林青年だ。前と後ろの籠にぱんぱんになったレジ袋を詰めていたところを見るに、どうやら、また、食材を買いすぎている。赤貧のくせに食には妥協がない小林なので、きっと、明日あたりには「作りすぎた」と新しい惣菜を持ってやってくるに違いない。最近の、八束の楽しみの一つである。
 通りの角を曲がれば、この前、南雲と真が額を付き合わせた喫茶店がある。南雲は仕事中でも時々ふらりと姿を消すときがあるが、そんな時には大体ここにいるのだと、あの後もう一度顔を出したとき、店主が耳打ちしてくれたことを思い出す。
 そして、もう少し走っていけば――、真と出会うことになった交差点に辿りつく。
 最初は、何も知っているものがなく、自分を知るものもない場所だったこの町に、少しずつではあるけれど、思い出が増えていく。それは同時に、この待盾という都市に八束の居場所が増えているような、そんな感覚でもあった。
 そして、ちょうどその交差点に通りがかったところで、八束の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「あ……、南雲さん、真さん」
 ちょうど交差点を渡ったところだったらしい南雲彰と南雲真が、二人で連れ立ってやってきた。それに、二人の足元をちょろちょろと落ち着きなく歩く二匹のダックスフントも一緒だ。二匹とも、八束の姿を目にした瞬間から、俄然尻尾を振って嬉しそうにしている。どうやら、嫌われてはいなさそうでほっとする。
「ちょこさんと、まろんさんのお散歩ですか」
 八束の問いに、仕事の外だからだろう、剃りあげた頭を隠すように、目深に帽子を被った南雲が軽い調子で応える。
「そうだよ。八束は体力づくり? いつも頑張るよな」
「お言葉ですが、南雲さんも、もう少し頑張ったらいかがですか? その調子では、もしもの時に絶対に困ると思います」
「それは私も思うな……、お兄ちゃんは、もうちょっと体を動かした方がいいと思う。家にいても夜通しゲームしてたり、かわいいドールハウス作ってたり、かと思ったらそこにガンプラ置いてたりするし」
 流石に八束でも「ガンプラ」が「ガンダムのプラモデル」の略称であり、それがどのような形状であるか、くらいは知っている。精緻な調度品を揃えたドールハウスにどどんと鎮座ましますガンプラを想像すると、シュールにもほどがある。
「いや真、あれは違うんだって。あの時はデスティニーガンダムが」
「話が完全に斜め方向です、南雲さん」
 このままだと、完全に南雲のペースに巻き込まれてしまうし、実際、南雲はそれを狙っていたのかもしれない。ちぇ、とわざとらしく舌打ちをして話を戻す。
「でもさー、体動かすのは俺の役目じゃないじゃん。それは八束の役目だよ」
「……南雲さん、念のため伺いたいのですが、頭脳労働は?」
「八束の役目」
 即答だった。それはもう、コンマ一秒の躊躇もない、即答だった。
「南雲さんの役目って一体何なんですか!?」
「お菓子食べる役目」
「それ仕事じゃないですよね!?」
 それは、八束にとってはいつも通りの不毛なやり取りであったが、真にとっては新鮮に映ったのかもしれない。最初は呆気に取られたように八束と南雲を見ていたが、ついに、くすくすと心底おかしそうに笑い出したのだった。
「八束さん、お兄ちゃんには本当に遠慮がないんですね」
「そ、そうですかね」
「でも、お兄ちゃん、こう見えて剣道はものすごく強かったって聞いてるし、今からでもやる気にさえなればできるんじゃないかな」
「えっ!? そうなんですか!?」
 南雲の、日ごろの動作の緩慢さを見る限り、全く「強い」というイメージが湧いてこない。ただ、南雲とてまがりなりにも警察官として認められている以上、何らかの武道には精通していてしかるべきなのだ。
 とはいえ、南雲はあくまでぼんやりとした様子で、真の頭をぽすぽすと叩く。
「真、余計なこと言わないの。お兄ちゃんはできる限り省エネエコロジーで生きてゆきたいのです。やらなくていいことはやらないで、エネルギーを温存したいのです」
「南雲さんは、少し動くだけで甘いものを必要とする辺り、単純に燃費が悪いだけなので、省エネでもエコでも何でもない気がします」
「うーんド正論」
 八束のツッコミもなかなか鋭くなってきたよね、と南雲は仏頂面のまま大げさに肩を竦める。この完全に人を食った、暖簾に腕押しはなはだしい態度こそが、南雲の南雲らしいところであり、ちょっぴり腹立たしいところでもある。
 ただ、今日に限っては、ぼそぼそと――それこそ、八束が気をつけていたからこそ、かろうじて聞き取れるくらいの囁き声が、続いていた。
「まあ、でも、そうだね。少しずつでも、色々と、取り戻してかないとだ」
「……南雲さん?」
 思わず南雲を見上げると、目が、合った。
 帽子の鍔が落とす影の下、分厚い眼鏡の奥で、それでも人より明るい色で煌いている、朽葉色の瞳。普段は虚ろにどこか遠くを見つめているようなその目が、今だけは確かに八束一人を見つめていた。
「いやね、ここしばらくの俺、ものすごくかっこ悪かったでしょ。お前にそれを気づかせてもらえて、ちょっとは考えを改めたわけよ。だから、もう一度お礼を言っとこうと思って」
 ――ありがとう、八束。
 いつになく真剣な声と、真っ直ぐな視線に、八束の方が戸惑ってしまう。返事をするにしても、一体何を言えばいいのかわからずに口をぱくぱくさせていると、南雲は不意に視線を逸らして、手に抱えた紙袋を示してみせる。
「そうだ、さっきたい焼き買ったんだけど、八束も食べる?」
「またですか」
「この季節のたい焼きはおいしいからいくらでも入っちゃうじゃない。ねー、真?」
 ちょことまろんの相手をしていた真は、話を振られて南雲を見上げ……、明らかな苦笑を浮かべた。
「おいしいのはわかるけど、食べすぎはよくないと思うな」
「えっ、真も俺の味方じゃなかったというのか……」
 先ほどは「考えを改めた」と言っていたが、一体、どこをどう改めたというのか。先ほどの妙に真剣な顔は一体何だったのか。色々とツッコミどころしかないが、真と向き合っている南雲の目は優しくて、それだけでも、確かに何かが「変わった」のだろう、という感触はあった。
 南雲は今日も笑顔一つ浮かべることなく、それでも、不思議と飄々とした態度でそこにいる。八束はそんな南雲しか知らないから、いつしかそれが当たり前だと思い込んでしまっていたが、そうではないということが、ここ数日でよくよくわかった。
 きっと、南雲にもあったのだ。ごく普通に、妹や家族と笑い合えていた頃が。ただ、それが何らかの原因で崩れて、南雲曰くの「何もかもが嫌になった時期」を経た結果として今の南雲がある。
 つい、と。八束は、南雲の手を引く。手袋の下に傷痕を隠しているという、左の手を。
「南雲さん、たい焼き、一ついただいていいですか?」
「はい、どうぞ」
 南雲は紙袋の中から一つ、ちいさな白い紙袋に入ったたい焼きを取り出して、八束に手渡す。今買ってきたばかりということもあって、まだ温かい。
 紙袋から取り出して、頭からかぶりつけば、表面はさくっと香ばしく、けれど内側はもちもちとした皮。そして、中にはぎっしりと餡子が詰まっている。甘ったるくはなく、それでいてしっかりと口の中に存在感のある、つぶ餡だった。
 一口、二口、と食べ進んでいると、突然、くしゃん、と南雲がかわいらしいくしゃみをした。八束は、つい、半分くらいまで減ったたい焼きから口を離して、南雲を見上げる。
「大丈夫ですか、風邪ですか?」
 最近めっきり寒くなってきたから、何処かで拾ってしまったのではないか、と心配してみるものの、八束の想像に反して南雲は「ううん」と首を横に振り、鼻をすすって言う。
 
「猫が見てんじゃないかな、きっと」

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