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時計うさぎの不在証明 02:ワンダリング・ウォーターインプ

ある日の予感

 ――俺には、ちょっとした才能がある。
 
 そう、南雲彰は自負している。
 とっておきの甘いものを食べている時、新作の巨大ぬいぐるみに目を取り付けている時、眠気に耐え切れずに瞼を閉じる直前の一瞬、八束結のほっぺたを伸ばしている最中、えとせとらえとせとら。そう、八束のほっぺたは、すあまのようにしっとりすべすべもちもちとした触感で極めて気持ちいいのだが、それはそれとして。
 そんな他愛の無い行動の隙間に、全く関連性のない閃きが、すっと差し込むことがある。
 いわゆる「刑事の勘」――と呼ばれるものかは知らない。南雲の実感としては、刑事になる前からずっとこんなものだったので、同僚や先輩が見せる経験則から来る研ぎ澄まされた「勘」とも異なる気はしている。
 とにかく、その正体が何であれ。
 南雲の「嫌な予感」は、極めてよく当たるのだ。
 
 今日だって、朝からそんな予感はしていたのだ。
 だが、わかっていたところで回避できるとは限らないことも、経験上嫌というほど理解しているわけで。
「南雲? 南雲じゃないか! 珍しいな、お前がうちに来るなんて」
「ひとちがいですぅー」
 神も仏も信じぬ南雲が、久々に訪れた近所の神社。その、大注連縄を飾る鳥居をくぐった瞬間に声をかけられ、迷わず全力の棒読みで返す。場合によってはこれだけで十分逃げられるのだが、今日は何しろ間が悪すぎた。
「南雲さん、呼ばれてますよ!」
「人違いにしておきたいんだよ八束、少しは空気読んでくれよ」
 袖をつんつんと引き、明朗快活な発声で南雲の名を呼ぶ八束に、南雲は遠い目をするしかなかった。
 だが、「勘」やら「嫌な予感」などという感覚的なものを何一つ信じない八束に対し、前からやってくる男とエンゲージするまでの数秒以内に満足な説明ができるわけもなく、つまるところ手詰まりだった。
 見知った顔である神主姿の男は、二人の前で立ち止まると、腰に手を当てて南雲の顔を睨みつけた。
「やっぱり南雲じゃねえか。しれっと嘘つくなよハゲ」
「いやほら、他人のふりをしたいお年頃なんです」
「何言ってんだお前」
 男は露骨に呆れた顔を浮かべたが、すぐに気を取り直したのか、眉根に深く皺を刻み込み、深い溜息混じりに言った。
「何だ、お前も河童を見に来たのか?」
「まあ、そうっす。正確には、見に来たのは俺じゃなくて、こっちだけど」
 直立不動で立っていた八束を視線で指すと、八束は一歩前に出て、ちいさな胸を張る。
「初めまして、こんにちは! あなたがこちらの神主さんですか? わたし、八束結と申します」
 ぴょこん、と深く頭を下げ、勢いよく上げるまでの一連の動作は、あらかじめその通りの動きをするように作られた、ばね仕掛けのおもちゃを思わせる。
 八束の「つくりものらしさ」は、何も動きだけではない。綺麗に切りそろえられた漆黒の前髪、黒々とした眉、そして黒目の部分が大きいぱっちりとした目。肌の白さや人よりちいさな体、すとんとした体型も相まって、妙に日本人形めいた印象を与えるお嬢さんだ。
 ただし、着ているものがきらびやかな和服でなく、上下サツマイモ色のジャージ――しかも校章が入っているところを見るに、学校指定体操服というやつだ――であるという点において、とてつもなくアンバランスではあるのだが。
 ここしばらくずっと一緒にいる南雲でさえそう思うのだから、きっと、初めて目にした神主には、とても強烈な印象として目に焼きついたのだろう。目を白黒させながら、明らかに動揺した様子で言う。
「お、おう、ここの神主の菊平亮介だ、よろしく」
 ただ、神主――菊平亮介が見せた動揺は、
「南雲、お前、ロリコンだっけ……?」
 何も、八束の見た目によるところだけではなかったようだ。
 顔を寄せ、明らかな疑いの視線を向けてくる菊平に対し、南雲はそっと溜息をついて、認識の誤りを訂正する。
「確かにちっちゃい方が好みだけど、流石に中学生は犯罪でしょう」
「中学生じゃありません! 二十二です、成人してます!」
 小声で喋っていたはずなのに、八束の耳にはしっかり届いていたらしい。短く太い眉の間に皺を寄せ、ぷくりと頬を膨らませる。すましていれば人形のように整った顔をしているのに、表情を浮かべた瞬間にぷくぷくの豆柴に思えてくるのが南雲にはいつも不思議でたまらない。
 ともあれ、このまま菊平を混乱させておくのも忍びない上に八束がうるさいので、話を進めることにする。
「冗談は置いといて、こいつはうちの同僚です」
「同僚……、ってことは警察官かよ。似合わねえなあ」
「似合わないって、どっちが?」
「どっちも」
 ですよね、と南雲は肩を竦める。八束が警察官に見えないのは今に始まったことではないが、同程度かそれ以上には、南雲自身もそうは見えないと自覚している。二人並んでいる時は尚更だ。更に、今日に限ってはお互い私服ということもあって、「らしくなさ」をことさら助長している。
「今日はお互い非番でして。八束はこっちに越してきたばっかなんで、適当にこの近く案内してたんすよ」
「道中の掲示板に、玄波神社で、河童のミイラを公開していると聞いて、是非一度見てみたいと思って参りました!」
 八束が、珍しくうきうきと南雲の言葉を継ぐ。
 ここ、玄波神社は、待盾の地域一帯を守護する『クジラさま』を始めとした、何柱かの神々を祀る神社であるらしい。生まれも育ちも待盾である南雲は、親からそう聞かされてきた。
 側を流れる江戸川くらいしか水場のないこの地域でどうしてクジラの神が祀られているのか。理由は知らないのだが、とにかく水にまつわる神が多く祀られている神社だ。
 そして、この神社には、いくつか奇妙なものが奉納されていることでも知られている。
 その一つが、河童のミイラだ。
 日本各地に、河童と考えられているミイラは存在するが、全身が揃っているものは極めて稀だと言われているが、実はそのうちの一つがここに奉納されているのだ。
 正直、ミイラなんて、言葉を目にするのも嫌だったのだが、数年に一度の虫干しついでのミイラ一般公開、というポスターを見つけてしまった八束がポスターを目にして曰く。
『南雲さん、河童とは実在する生物なのでしょうか?』
 流石と言うべきか何というか、八束は物事を疑うということを知らない。ポスターの戯画化された河童の絵を前に、明らかに尻込みし、涙目でこちらを見上げる八束を、南雲は心底の呆れとともに観察していた。
 しばしの気まずい沈黙の後、八束の問いに対しては、一言だけ返したのだった。
『ねーよ』
 神主である菊平――付き合いがあった当時は彼の祖父が神主だったのだが――と知り合いである南雲は、河童のミイラの正体も当然知っている。かつて菊平とその祖父から聞いた内容によれば、猿などの動物のパーツを繋ぎ合わせた真っ赤な偽物であるらしい。
 なおも不安がる八束に、噛んで含めるように説明したところ、今までの怯えようが嘘のように『なんだ、そんなものなのですか』とあっさり言い放った。
 そして次の瞬間、俄然目を輝かせてのたまったのだ。
『河童の偽物とは、どのようなものなのでしょう。この機会に是非見てみたいです』
 ……と。
 正直、全く気乗りがしなかった。八束と違って、南雲はミイラを見たいと思わないどころか、一時たりとも関わり合いになりたくなかった。しかも、朝から何となく嫌な予感がして仕方ないのだから、やる気なさは倍率ドンである。
 だが、散歩をせがむ豆柴のごとく潤んだつぶらな目で見上げられれば、断れるはずもない。南雲は子犬に弱いのだ。かわいい動物全般に弱いともいう。
 そんなわけで、玄波神社に案内するだけ、という条件で神社にやってきたはいいが――。
「か、河童のミイラ……、ね……」
 八束のきらきら熱視線攻撃を受けた菊平が、先ほどとはまた違う動揺を見せた。今日が始まってからずっと背筋に圧し掛かっていた嫌な予感が、さらに一段階深まった、そんな感覚。これ以上踏み込んだら絶対に面倒くさいことになる、という虫の知らせ。
 しかし、どうにも好奇心には勝てなくて、つい、口を挟んでしまった。
「どうしたんすか、菊平先輩。河童、絶賛公開中なんすよね」
「あ、ああ、昨日まではな」
「昨日までは? ポスターでは、あと一週間ほど公開期間があったと記憶していますが」
 八束が小首を傾げる。その、愛玩動物を思わせる仕草に弱いのは何も南雲だけではなかったらしい。菊平は八束から気まずげに視線を逸らして、口の中でぼそぼそと言う。
「いや、見せたいのは山々なんだが……」
「山々なんだが?」
 八束は菊平の言葉を鸚鵡返しにして、菊平の顔を覗き込もうとする。八束に悪気は無いと思うのだが、菊平の立場ならめちゃくちゃ嫌だろうなあ、と思わずにはいられない。八束の言動はいつだって真っ直ぐで、しかも一度でも不思議に感じてしまうと、喉元に喰らいついた挙句なかなか離そうとしないのだ。
 人から情報を聞きだす姿勢としては稚拙極まりないが、それでも相手が無視できないだけのパワーで押し切るのが八束というお嬢さんである。本人にその自覚はないだろうが。
 菊平も、何らかの誤魔化しの言葉を捻り出そうと口をもごもごさせていたが、やがて諦めたのか、肩から力を抜いてぼそりと呟いた。
「河童が、いなくなったんだ」
「いなくなった?」
 八束が、かくんと口を開く。南雲も、もし内心と表情が一致するならば、八束と同じような顔をしていただろう。
 何しろ「盗まれた」でもなく「消えた」でもなく「いなくなった」、だ。
「まさか、河童が歩いて逃げたとでも言うんすか?」
 当然だが、本気で言ったわけではない。南雲は神も仏も信じなければ、天使も悪魔も妖怪も、もちろん河童の存在だって信じていない。いなくなった、というのもレトリックに過ぎない。
 そうでなければならないと、思っていたのに。
「……その、まさかなんだ」
『はあ?』
 菊平の思わぬ言葉に、八束と南雲の声が唱和した。
 もしかして、思った以上に厄介な事件にぶち当たったんじゃないか?
 いつも以上に鈍く痛むこめかみの辺りを指で押さえて、南雲は深く、深く嘆息する。
 
 ――南雲の「嫌な予感」は、極めてよく当たるのだ。遺憾なことに。

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