シアワセモノマニア物語空色少年物語 > 23:沈黙の深淵(1)

 

>23:沈黙の深淵(1)
 
 
  セイルたちが蜃気楼閣ドライグを訪問してから、二日。
  セイルたちは再び、竜王ガブリエッラの待つ玉座の間に呼び出された。
  真紅の絨毯に包まれた部屋の高きに座す竜王は、仮面の下からセイルたちを見下ろし、朗々と響く声で言う。
「待たせたな。船の準備が整った」
  セイルはごくり、と喉を鳴らして右手を強く握り締める。
  ついに、この時が来た。兄の待つ海底に向かう、この日が。
  道化師ティンクルの言葉が全て真実だとも限らない。セイルたちが逃げられない場所に追い込む罠であるかもしれない。それでも、これが、自分たちの選んだ道。やっとのことで掴み取った、手がかりなのだ。
「今回我々で用意した船は三隻。一隻に君たちが乗り、あとの二隻で蜃気楼閣の竜騎士を同行させる。海底は危険が多いからな、探索を得意とする者たちに君たちを案内させる」
  とはいえ、ノーグがいるという北の海底は、極めて潜行が難しい海域であり、実際にそこに何があるのかは、騎士たちにもわからない、という。とはいえ、海底探索経験のあるなしは大きいはずだ、とガブリエッラは言う。
「君たちの船の操縦はクラウディオに任せてある」
「クラウディオさんが、同行してくれるんですか」
  セイルは、思わず声を上げていた。玉座の足下に控えていたクラウディオは、鷹揚に頷いて言った。
「私も、海底の遺跡には興味があるから、是非乗せてくれと頼んだのさ。もちろん、君たちの邪魔はしない。彼と会うのは君たちに任せるよ」
「あと、クラウディオには戦の心得もある。そのため、我ら蜃気楼閣の代表として、騎士たちの指揮を任せている。同行に異論はないかな」
  ガブリエッラの言葉に、四人は特に異議を申し立てることはなかった。
  仮にセイルたちに戻ってこなかったとしても、部隊を正しく指揮する者がいれば、最悪の事態は防げる可能性が高まる。セイルたちとは異なる目的を持つクラウディオが同行してくれることは、とてもありがたいことであった。
「ああ、それと操縦に関しては、リーワード博士にも教えてある」
「肝心のクラウディオにもしものことがあっても困るしね」
  ブランは軽く肩を竦めて言った。ここに来た当日に倒れたはずの彼は、当たり前のようにそこに立っていた。何故か、その横のチェインは睨むような視線を向けていたけれど、それはいつものことだったかもしれない。
  実際にブランに教えたのであろうクラウディオは「教えがいが無い相手だけどね」と苦笑する。確かに、『レザヴォア』という絶対記憶装置を操るブランを相手にものを教えるのは、極めてやりがいのない作業だろうな、と思わずにはいられない。
「まあ、そんな冗談はともかく、船に乗せるに当たって、君たちにも注意してもらわなくてはならないことがいくつかある。よく聞いてくれたまえ」
  セイルは、クラウディオの赤い瞳を見据え、一句一言たりとも聞き逃さないように耳をそばだてた。
  まず、クラウディオが話し始めたのは、海底というのがどのような場所であるか、ということであった。セイルも、家の近くの海で泳いだことはあるからわかるが、人は、そう簡単に深くは潜れない。これは魔法を使っても同様だ。これは、水というものそれ自体が、極めて強い力を持っているからである、と説明する。
「正確には、空気が持っているものと同じ力なんだが、水の力はそれ以上に強い。ある一定の深さまで潜ってしまうと、人の体は耐えられない」
  逆に深い場所から急浮上した場合も、その差異に体が耐え切れなくなって死に至る。詳しい仕組みもクラウディオの口から語られはしたが、セイルにはすぐに理解できる話ではなかった。
  とにかく、そんな人の肉体の限界を補うのが、機巧の船である。この船は、水が持つ力に耐えうる強靭な船体と、内部にいる者を守るための機構を備えている。ただ、それらはあまりに精緻なものであるため、小さなもの一つでも、欠くようなことがあってはならない、という。
「水の中では、助けを呼ぶ前に死んでしまうからね。細心の注意を払ってほしい」
  そうやって言われると、にわかに恐ろしくなる。本当に恐ろしいのは、兄ではなくて、当たり前のようにそこに存在している海そのものである、そんな気すらしてくる。
「それと、海の中では、まず私の指示に従ってほしい。私が指示できない状態であれば、ブランくんの指示に従うことだ。ブランくんは、騎士の記憶も保持しているだろうしな」
「ああ。海の怖さは徹底的に仕込まれるからな、ここの騎士さんは」
「この城自体が、海底と海上を行き来するという機構を持つからね。海は外敵から我々を守ってくれるが、同時に一歩間違えれば簡単に我々に牙を剥く。そういうものさ」
  クラウディオは軽く肩を竦め、赤い瞳を細める。
「まあ、その点だけ気をつけてくれればいい。後の細かい話は船の中ででもできるからね。今の時点で何か質問はあるかな」
「一つ」
  チェインがすっと、組んでいた手を解く。しなやかな指に沿うように垂れた、銀色の鎖がちりりと鳴った。
「この前、あなたが捕まっていた塔に入った時は妙に息苦しかったけど、ああいうことはあるのかい?」
  そういえば、『シルヴァエ・トゥリス』では、チェインだけが苦しげな様子だったことを思い出す。どうも、マナが極端に少ないという話であったが……そう思っていると、クラウディオはぽんと手を叩いて言った。
「それについては当然、準備をしてあるが……ブランくん、説明はしていなかったのかい?」
  話を振られたブランは、顎に指を当てて「あの時はざっとしか説明してなかったな」とチェインに向き直る。
「おそらく奴が待つ場所も、マナが極端に薄い……もしくは、皆無という可能性が高い。姐御にはきつい環境だろうな」
「どうしてマナが薄くなるんだい? 正直、あんな気分が続くのはごめんなんだけど」
「んー、そりゃあ、あれだ。創世神話の通り、ってこった」
  セイルは、ブランが言っている意味がよくわからなくて、首を傾げる。ただ、チェインはすぐに意図を察したのか、はっと顔を上げる。
「女神は、世界樹を植え、世界樹はマナを生み出した……つまり、それ以前の『存在しない時代』には、マナも存在しなかったってことだね?」
「ああ。だから、『存在しない時代』の遺跡ってのはマナが希薄なのよね。とはいえ、地上の遺跡は大気や地面に染み込んだマナを取り込んで、ある程度のマナが大気中に溶け込んでるもんだが、水ってのは鉄ほどじゃねえがマナと相性の悪い物質でな。姐御の方がこの辺は得意だと思うが、きちんとした手順を踏まないかぎり、マナはそう簡単には水に混ざらん」
「つまり、海底じゃあ、もっとマナが少ないってことかい」
「その通り。俺様やガキんちょ、シュンランはそこまで困らねえが、姐御はエルフだからねえ。前にも言ったとおり、人間を除く人族はマナが存在する空間に適応した形で創られてるみたいで、体内にマナが足らなくなると生命にも関わる。で、マナってのは常に体から放出されてるもんで、大気中にマナがないと出て行くばかりで息が詰まっちまう」
  俺様は人間だから、息が詰まる感覚はよくわからねえんだが、とブランは付け加える。
「それでも、人間だってマナが足りなきゃ魔法を使うこともできねえ。だから、海底を探索する際にはルーンが必須なのよ」
  ルーン。それは、マナに特殊な加工を施し、凝縮した結果生まれる液体のことだ。これは液体という形こそしているが、空気に触れればすぐに気化してしまう。主に、現在は魔道機関を動かすための動力として使用する。
  もちろん、それ自体がフォイルと同様の魔力の塊であるため、生物が摂取すると精神への悪影響や魔物化などの危険性がある。ただ今回のような場合は、適量を定期的に摂取することで、体内のマナの枯渇を防ぐことができるのだという。
  事実、以前『シルヴァエ・トゥリス』で戦った際も、チェインにはあらかじめルーンを渡していたらしい。
「こいつは、クラウディオたちが既にきっちり用意してる。対処さえしっかりできてりゃ、そう恐れることはねえ。特に、姐御の魔法には頼らせてもらうつもりだからな」
「……言われなくとも。私は、この時のために生きてきたんだから」
  白い手を握り締め、チェインはきっぱりと宣言する。
  しかし、力強い言葉とは裏腹に、秋空を映し込んだ瞳の中には、微かな揺らぎが見えたような気がした。光の加減だろうか、それとも……だが、その正体を掴む前に、かつり、と手にした杖を鳴らしたガブリエッラがセイルの視線を奪う。
「さて、他に確認しておきたいことがなければ、こちらから一つ、君たちに頼みがある」
「……頼み、ですか?」
  セイルはガブリエッラの仮面を見上げる。紅を塗った唇を引き締め、ガブリエッラは朗々と声を放つ。
「ディアン・カリヨンの警告もあり、『エメス』の襲撃による人的被害をほぼゼロに抑え、『ディスコード』とシュンランを逃がすことにも成功したが、一つ、奪われたものがある。可能であれば、奪取を頼みたい」
「それは、何なんですか?」
「――『義体』だ」
  義体?
  言葉はわかるが、頭の中で上手く想像できない。義手や義足と同じ考え方なのだと思うが、体と言われてもどこからどこまでを指すのだろうか。そして、それが「奪われた」というのはどういう意味なのだろうか。
  シュンランに「わかる?」と問うても、不思議そうに首を傾げるだけだ。そもそも、彼女は『義体』という言葉を理解できなかったのかもしれない。
  だが、今の今まで沈黙を守っていたディスが、乾いた声で、呟いた。
『おい、まさか、あれ、まだ存在してたのか……?』
「……ああ」
  低い声でディスの問いに応えたブランは、吐き捨てるように「繋がったな」と言って、ガブリエッラに向き直る。
「完全な形でなくても、構わねえな」
「構わない。まずは、君たちの目的を優先させてくれたまえ。その上で可能であれば、の話さ。あれはそもそも、破棄されるべきものであったはずだからな」
  じゃあどうして残しておいたんだよ、とディスが搾り出すような響きを放つ。何故、ディスがここまで苦しそうな反応を示すのか、セイルには理解できない。ブランには、わかっているようであったが――いくつもの疑問符を浮かべながらブランを見上げると、ブランはセイルの頭に手を載せ、ぐしゃりと空色の髪に指を通した。
「ま、俺らには直接は関係ない話だし、大勢に問題はねえさ」
「義体……って、何なの?」
「言葉通り、機巧と生体部品を使った作り物の体だ。遠い昔、遺跡から発掘された機巧人形を元に造られた一種のゴーレムで、ある手順で霊体を憑依させることで、人と変わらない行動が可能になる。傍から見れば、ただの人にしか見えねえだろうな」
「何だか、怖いですね」
  シュンランが、微かにすみれ色の瞳を翳らせる。人と同じ姿をした、それでいて絶対に人ではないもの。そんなものが自分の横にいて、無機質な瞳でこちらを見つめている姿を想像すると、確かにぞっとする。
  そうかもな、とブランはシュンランの言葉を認めながらも、「だが」と言葉を続ける。
「極めて精巧に人の体を真似た機巧ってこともあって、義肢製作の原型として、長らくドライグに保管されてたのさ。あれのお陰で、かなり精巧な義手や義足、それに人工の内臓なんかも作れるようになったのよ。実験段階ではあるがな」
  もちろん、それは義体を造った異端研究者が、とんでもない想像力と技術の持ち主だった、ということを意味する。元となる人形があったとはいえ、仕組みも何もかもが謎に包まれていた機巧を実用段階にまで持っていった、という点で、今現在も極めて高く評価されている……そんなことをブランが丁寧に説明し、不機嫌そうなディスもそれには大人しく同意の意志を見せた。
  シュンランは一つ一つ頷きながら、何とかブランの言葉を飲み込もうとしているようだったが、興味深いのはむしろチェインの反応だった。唇に指を当て、ブランの横顔を見据えて言う。
「禁忌機巧ってのは、そんなこともできるのかい」
「まだまだ取り回しは難しいがな。姐御も、その辺は興味ある?」
「まあね。魔道義肢の製作には、未だに課題が多いから。魔力を持たない、もしくは少ない者にはそもそも扱えないし……って、すまないね。話がずれたよ」
  チェインは、慌てて手を振って言葉を切った。今まで、禁忌の話に及ぶとほとんど口を閉ざし、ただブランやディスが語るに任せていた彼女らしからぬ態度だ。
  そんなチェインを一瞥し、ブランはほんの少しだけ、口の端を歪めた。
「ま、そういう話は、全部終わってから、ゆっくりすりゃいいだろ」
  その言葉に、チェインは目を丸くした。
  セイルにとってもその言葉は意外なものだった。ブランは、今まで「終わった後」の話はしたことがなかったのだ。それに、セイル自身、当然のようにノーグ・カーティスとの対峙が終われば、何もかもがばらばらになってしまうものだと、考えていた。
  けれど、ブランは、そうは思っていないのだろうか。まだ、四人と一振りの時間が続くと思っているのだろうか。
  真意を確かめたい、と思うけれど、すぐに正しい言葉が出てくることはなくて。セイルは、喉に何かが引っかかったまま、黙り込んでしまう。
  かくして、場に一瞬落ちた沈黙を確かめ、ガブリエッラが玉座から立ち上がって宣言する。
「それでは、今から船を出す。クラウディオ、彼らを案内してくれ」
  ――ああ。
  握った手に、力が入る。
  ――この先に、兄貴が待ってる。
  誰も、確かなことは言っていない。本当に、そこにノーグが待っているという保障はない。だが、セイルの胸の中には、ほとんど確信としてその言葉が浮かび上がっていた。
  ずっと、ずっと、セイルの前から姿を隠していた兄、ノーグ・カーティス。彼を前にして、自分は何を言えるだろう。あれだけ会いたいと思っていたのに、その時が近づけば近づくほど、色んな思いがぐるぐると駆け巡って、胸の辺りが苦しくなる。
  会いたい。会いたいはずなのだ。けれど、その時が怖くて仕方ない。
  その時、痛みを感じるほど握り締めた拳に、そっと、何かが触れた。
  はっと視線を上げると、セイルの手の上に指を重ねたシュンランが、小さく頷きかけた。大きく見開いたすみれ色の瞳の中に、セイルの姿が映りこむ。
  セイルの胸を圧迫していた何かが、少しだけ軽くなる。シュンランが、側にいてくれる。自分を、その綺麗な瞳で見つめていてくれる。今までそうであったように。これからも、そうであってほしい、と心から思いながら……握っていた手を開き、シュンランの手を包み込む。
  クラウディオの背中を追って、既にブランとチェインは歩き出していた。セイルは、改めてシュンランと顔を見合わせ、頷きをかわして。
  そうして、力強く、赤い絨毯を踏んだ。

 

BACK   TOP   NEXT

シアワセモノマニア物語空色少年物語 > 23:沈黙の深淵(1)