シアワセモノマニア物語空色少年物語 > 22:蜃気楼閣の長い夜(4)

 

>22:蜃気楼閣の長い夜(4)
 
 
  扉の向こうに広がっていたのは、円形の空間だった。その中心には、扉が開くと共に灯された明かりに照らされた、巨大な機巧が鎮座していた。無数の導線によって繋がれた機巧は、来客に反応したのか、かたかたと音を立て始める。
  一体、何が起こるのかわからず、セイルはとにかくシュンランの前に立つ。突然、機巧が攻撃でも仕掛けてくる可能性を危惧したのだ。だが、機巧はセイルたちに何をしてくるわけでもなく、淡々と音を立て続け……突然、ぶん、という何かが震えるような音と共に、光を放った。
  その光は、決して強いものではない。赤、青、緑の光がちらちらと機巧の上方に舞い……それが、一つの像を結ぶ。光が織り成す、立体的な人の姿。まるで、生きた人間がその場に浮かんでいるような精緻な幻に、目を見開かずにはいられない。
  だが、何よりも驚くべきは、その幻が、よく知った顔だったことだ。
「……ブラン?」
  貫くような氷河の瞳に見据えられ、セイルは反射的にその名前を呼ぶ。
  けれど、改めて見てみれば、別の人物だということもわかる。意志の強そうな三白眼を含めた顔立ちは、ブランに極めてよく似ている。だが、細い銀縁の眼鏡をかけ、ゆるりと伸ばされた髪の色は漆黒。何より、すらりとした体躯のブランと対照的に、映し出された男の背は低かった。羽織った白衣がだぶついて見えるほどに。
  年齢は、三十路を越えた程度だろうか、何処かやつれても見える男は、セイルたちを睨むようにして薄い唇を開く。
  見かけに反し、澄んだ、少年のような響きを帯びた声が、響き渡る。だが、何を言っているのかセイルには全くわからない。喋っているのは、本当に「言葉」なのだろうか? 流れていく音を聞きながら、男の画像を見つめて呆然としていると、突如、ディスが言った。
『「裏切りの使徒」アルベルト』
  使徒アルベルト。創生の時代、混迷の時代を送っていた人族を導くため、女神に創られた赤き竜を伴う使徒。その中で、唯一与えられた役割を放棄し、鋼の武器を手にとって女神に牙を剥いた者。蜃気楼閣の異端研究者が崇める真実の探求者。
  いくつもの側面を耳にしたことはあるが、それが確かな形を伴って目の前に現れるとは、思ってもみなかった。呆然と、喋り続ける幻影を見上げ、呟く。
「この人が……アルベルト?」
『そうだ。ま、人族を導く使徒だとかいう設定が真実かどうかは横に置いて……この蜃気楼閣を造り、女神に反逆を企てた張本人ってのは、間違いねえ』
  設定、という言い方が気にならないわけではなかったが、ディスの言葉を疑う気にはなれなかった。だが、ブランとよく似た顔をしているのは、単なる偶然なのだろうか。何もかもを見通すような、実際に未来を見通す凍れる緑眼。その瞳を持つ人物は、ブラン以外に見たことがない。
  そんなセイルの疑問など知ったことはないという風に、アルベルトは淡々と言葉を続ける。言葉に合わせて、アルベルトの姿の前に、よくわからない模様――『シルヴァエ・トゥリス』で見かけた文字と似ていたから、これも文字かもしれない――が流れていくが、それもセイルには意味が読み取れない。
  果たして、アルベルトは何を喋っているのだろう。鋭くセイルを見据え、ブランと同じ顔で何かを訴えようとしている。けれど、その言葉の一つも、セイルには届かないのだ。そのもどかしさに耐え切れずに胸を押さえていると、ディスがぽつぽつと言葉を加えていく。
『こいつは、女神ユーリスの、創世神話の裏側について語ってる。曰く、女神さんは、元から存在した世界を一旦まっさらにして、自分の好き勝手に「楽園」を創った云々。そんな風に世界を創り変えることに反対したアルベルトは、女神に対抗して未来視を開発し、一部の人間に己が持つ禁忌の技術を伝え、この蜃気楼閣を建造して女神に挑んだが、失敗した……ってところか』
「ディス……わかるんだ?」
『前にも言ったとおり、全部はわからん。こいつが喋っているのは、お前らが「存在しない時代」って呼んでる時代の言葉だ。シュンランならわかるとは思うが』
  そうだ、シュンランは?
  と、そちらを振り向いたところで、機巧によって形作られた幻のアルベルトが、唐突に、聞き覚えのある単語を放った。
「――シュンラン」
  その、呼びかけに対して。
  横に立っていたシュンランは、瞬きもせずにアルベルトを見据えていた。
  声をかけようとしていたセイルは、思わず言葉を飲み込む。ディスはその後に続くアルベルトの言葉に耳をそばだてていたが、やがて溜息混じりに言った。
『この台詞は……俺も知らねえな。この装置に、相手を判別する機能でもあるのかもしれんな』
  ――何て、言ってるの?
  シュンランの邪魔をしないように、思念で問う。ディスは『ちょい待ち』と意識を喋り続けるアルベルトに傾けたようだった。先ほどディスが言ったとおり、どうやら、ディスはアルベルトの言葉を全て理解できるわけではなく、知っている言葉の端々を捉えて、何とか内容を組み立てているようだった。
  やがて、一瞬、アルベルトの言葉が途切れたところで、ディスが言葉を落とした。
『シュンラン、あなたに会いたい』
「……えっ?」
『もう、世界を救うなんて役目に囚われなくていい。あなたは自由だ。だから、あなたが夢見た空を見に行こう。星を見に行こう。皆で一緒に』
  使徒アルベルトは、シュンランを知っている……?
  シュンランについて語るアルベルトは、とても穏やかな表情をしている。表情豊かなところは、同じ顔をしているブランとは対照的で奇妙な気分になる。ただ、銀縁眼鏡の下で輝く瞳の焦点が合っていないような気がして、少しだけ、怖い。これは、ここに立っているアルベルトが、映像だからだろうか。
  その時、アルベルトが幻の手を伸ばした。シュンランに向かって。機巧が、そこにいるシュンランの姿を捉えているのかもしれない。
  シュンラン、と。
  凛とした声が、シュンランを呼ぶ。焦点の合わない瞳で、少年のように笑うアルベルトは、何度も何度も、同じ言葉で呼びかけているように思える。
  それに対し、シュンランは、呆然とアルベルトの像を見上げていたが、もう一度名前を呼ばれたところで、いやいやをするように首を横に振り……セイルにはわからない、きっとアルベルトが喋っているのと同じ言葉を、一言、吐き出した。
  ――わからない。
  そう、ディスが言った。シュンランが放った言葉は、セイルの知る言葉に直すならそう表現できるはずだ、と。
  わからない。
  記憶を失ったシュンランの瞳に、アルベルトの姿はどう映ったのだろう。シュンランは、不安でいっぱいの顔をしていた。セイルの前では毅然とした姿であり続けた彼女らしからぬ、うろたえ方だった。
  助けを求めるように、セイルを見上げて……一言二言、セイルにわからない言葉で何かを訴えようとする。ただ、すぐに自分の言葉がセイルには通じていないと気づいたのか、いつもの、少したどたどしい言葉遣いで言う。
「わからないのです。言葉は、わかるです。しかし、この人が、わからないです……」
  頭を押さえているのは、痛みを堪えているからだろうか。眉を寄せ、苦しそうにしながらも、シュンランはすみれ色の瞳で遠き日の幻影を見据える。
「しかし――わたしは、この人を、懐かしいと思うです」
  懐かしい。何度か、シュンランはその言葉を使ったことがある。それはきっと、消えたはずの記憶に触れるものがあったからに、違いない。目の前のアルベルトも、シュンランの記憶の中に、何か引っかかりを残す存在であることは、確かなのだろう。
「何か、思い出せない?」
  すると、ぽつ、ぽつといくつかの不可思議な言葉がシュンランの唇から飛び出す。その意味をセイルが問う前に、シュンランはすぐセイルの知る言葉に訳してくれた。
「青い空。夕焼け空。星空。空の夢を、見ていたのです」
「空の、夢?」
「絵に描いた空ではありません。本当の、色鮮やかな空を見たい……と。そう、言ったことを覚えています。その時、この人は、横にいたはずです」
「ええと……ブランと間違ってるわけじゃ、ないよね」
  念のため聞いてみると、相変わらず淡々と喋り続けるアルベルトを見上げて、「あっ」と口元に手を当てて声を上げた。
「すごい! ブランにそっくりです!」
  今気づいたのか、とセイルはその言葉の方に驚くが、それよりも、アルベルトの言葉に気を取られていた、ということなのだろう。
「ブランの、ご先祖様でしょうか」
「え、でも使徒アルベルトに、子孫がいるなんて聞いたことはないけど」
  使徒アルベルトは、女神ユーリスと争った結果、己の眷属である赤き竜と共に海に沈んだという。神話の全てを知っているわけではなく、もちろん何処まで真実かなど知る由もないが、創世神話の中でも極めて重要な役割を持つ裏切りの使徒に子孫がいるとなれば、何かしらの伝承を耳にしていて不思議ではないが……
『……や、シュンランの言葉が大体正しい』
「正しい、の?」
『こいつは、お前らにも喋っていなかったと思うが……そもそも「ディスコード」を扱うために必要な因子「ユニゾン」は、五人の使徒が持ってたもんで、これが血を介して受け継がれてる』
「え、じゃ、じゃあ、俺も使徒の血を引いてるってこと?」
  つい、自分の手を握ったり開いたりしてしまう。掌に薄く見える血管の中に、神話の時代の血が流れているというのか。激しく動揺するセイルに対し、ディスは普段と何も代わらぬ口調で言う。
『そういうことになるな。だが、珍しくはあるがそう特別なことじゃねえ、ってのは前に言った通り』
  現在、血統が管理されているのは、使徒エルヴィーネの血を代々受け継ぐユーリス神聖国の聖王たち、そして使徒ターヤの血を引く旧レクス皇族であるという。
  だが、離反して海に消えた使徒アルベルトと放浪の旅に出てしまった使徒ライザンの血統、そして神話の中でもほとんど語られることのない名も無き使徒の血統については、どのように伝わっているのかは全くわからないのだ、という。ちなみに蜃気楼閣の竜王はアルベルトの末裔ではなく、アルベルトから蜃気楼閣の管理を任された弟子の一人の血を引く者で、アルベルト本人とは無関係なのだそうだ。
  故に、アルベルトに子孫がいるという話は伝わっていないが、それが「いない」と確定できるわけではない。歴史に残らないよう、存在を隠していた可能性だってある、とディスは言う。
  ブランはそのうちアルベルトの血を引いているだろうし、セイルも誰かしらの血を引いているんだろう、とディスは意識の中で肩を竦める。
『野良使徒の「ユニゾン」がどう伝播したかなんて、誰も正確には把握してねえ。今じゃ血も薄まりすぎてて、「ユニゾン」の保有者かどうかは、いちいち「ディスコード」を触らせないとわからねえんだ……一部の、特別な能力を持つ者を除いては』
  その言葉を聞いた瞬間に、脳裏に閃いたのは、目の前にいる男と同じ氷河の瞳。本来見えるはずもない未来を掴み取る、刹那の煌き。
「もしかして、それが『アーレス』と『レザヴォア』?」
『そう。とはいえ、本人たちがそれを理解してるわけじゃねえし、血が薄まりすぎててほとんど発現しねえんだがな。両者を満足に扱えるブランは、それこそ「先祖返り」ってやつなんだろ』
  未来を見る瞳に、あまねく知識を蓄える水瓶。使徒アルベルトは、何を思ってその力を己の血を継ぐ者に託したのだろう。己には果たせなかった女神打倒を果たすため、だろうか。ブランは、その在り方をほとんど『レザヴォア』に頼っているとはいえ、あくまで己の意志で己が道を選び取っている。だが、例えば、同じようにアルベルトの血を引いていたディアンは己の見た未来に抗うべく剣を取ろうとした。
  そして、セイルの頭の中に浮かぶのは、同じように未来を見る力を持っていたという、一人の男の影。
「兄貴も、アルベルトの力を使って、アルベルトと同じことをしようとしてるんだね……」
  その言葉に、ディスは肯定も否定もしなかった。ただ、何かに気づいたのか、小さく唸った。どうしたのだろう、と思っていると、ディスが囁くように言った。
『ノーグ・カーティスがアルベルトの末裔ってのは異論ねえが……そういや、一つ、引っかかることがあったんだ』
「引っかかること?」
『賢者様が「アーレス」使いだってのは、事前情報通りだと思ってる。だが「レザヴォア」はどうなんだろう、ってな』
  昼間にブランの話を聞いていて思ったことなのだが、と言い置いてディスは言葉を続ける。
『「レザヴォア」の使い手同士は、お互いの動きを把握することができる。だから、俺らの動きは、使い手のブランを通して筒抜けでもおかしくねえんだ。だが、ブランを見る限り、そこに警戒はしてねえ。実際、向こうも俺らの動きを先読みはできていない』
  ブランが何か手を打っているのかもしれないが、どちらにしろ、『レザヴォア』を己の思考装置の延長として使いこなすブランに比べれば、向こうは『レザヴォア』を自由に使えているわけではないはずだ、とディスは言う。
『そういう意味じゃ、こっちにも勝機はあるってこったな。「アーレス」は単体でも未来視は可能だが、本来は「レザヴォア」と組み合わせることで真価を発揮するもんだ』
  以前、ディスは『アーレス』を「最も起こり得る確率の高い可能性」を算出する能力だと言っていた。そこに『レザヴォア』が蓄積してきた類似状況の記憶と照らし合わせることで、精度は格段に上がるのだろう。ブランの超人的な判断力は、それらの相互作用によって生み出されていたに違いない。
  相手の『アーレス』は、それよりも格段不完全なもの、ということになるが……未だ『アーレス』を取り戻していないブランに、それを打ち破る術があるのだろうか。使徒アルベルトが導いた、遠い過去の伝承の世界から、現実に引き戻された気分で、唇を噛む。
  ディスもまた、同じようにこれから先、待ち構える相手のことを考えていたのだろうが、すぐに小さく溜息をついて言った。
『ま、その辺はブランに聞いた方が早えな。ここで見たことも、伝えてやらねえと……奴は、ここを通れないだろうから』
  確かに、ブランは魔力こそ人より低いが、それでも魔法を扱うだけの能力を持つ普通の人間だ。たとえアルベルトの末裔であっても、このメッセージを直接受け取ることはできないのだ。
  どうして、アルベルトは、こんな制限をかけて、蜃気楼閣の奥深くに己のメッセージを残していたのだろう。女神や女神に従う者に見られることを恐れたからだろうか。
  そして――シュンラン。
  海の底から発掘された、機巧の箱に守られていた『棺の歌姫』。その存在を、アルベルトが知っていたということは、何を意味するのだろう。シュンランもまた、神話の時代の存在だというのだろうか。
  セイルにはわからない。わからないけれど……セイルとディスが喋っている間、ぼうっとアルベルトの像を見上げ続けていたシュンランの瞳の奥には、言い知れない不安の色が揺らいでいる。
「シュンラン……大丈夫?」
「はい。わたしは、だいじょぶです」
  大丈夫、というシュンランは笑ってみせるけれど、その表情は鈍い。もし、自分がアルベルトの言葉を理解できれば、彼女の不安の理由を知ることができただろうか。シュンランが不安な顔をしていると、自分まで胸がぎゅっとなるのが、不思議だ。
  それでも、シュンランは出来る限り気丈に振舞おうというのだろう、柔らかな指でセイルの手を取って、笑顔を浮かべてみせる。
「さ、ガブリエッラを待たせてしまっています」
「う、うん」
「そういえば……ブランは、無事でしょうか」
  ちらり、と。未だアルベルトの像を映し出している機巧を振り返って、シュンランは呟いた。それで、セイルも昼間のことを思い出す。ディスがクラウディオと言葉を交わした後、駆けつけた騎士から、驚くべきことを聞かされたのだ。
  ――ガブリエッラと話を続けていたブランが、突然倒れたのだと。
  できるだけ考えないようにしていたのだが、その言葉で小さな不安の点がぽつりと生まれたのが、わかる。けれどあの時、慌てて駆けつけたセイルに対し、血の気の引いた顔ではあったが、大丈夫だと強く言い切ったブランの言葉を信じたい。
  彼は嘘だけはつかない。絶対に。
「大丈夫。きっと、大丈夫だよ。出発までには時間があるし、すぐに元気になるよ」
  行こう、と。セイルはいつもより少しだけ強く、シュンランの手を引く。
  最後まで何を伝えようとしているのかわからなかった、遠い日の幻を振り切って。自分の胸の中にわだかまる、いくつもの不安を振り切って。

 

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