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談話室の飛ばない探偵たち

whodunit - B

 エリオット・イーズデイル。
 その名前を聞いたとたん、アーサーが目を丸くし、ゲイルがすうっと顔を青くする。そんなに驚くことだろうか、と思うが、アーサーはどうやら本気で驚いていたらしい。普段より幾分かうわずった声で言う。
「え、何、ジーン、エリオットの存在信じてる人です?」
 そんな冗談みたいなこと言うとは思ってませんでしたよ、という言葉には、私も肩をすくめざるをえなかった。アーサーの中では、私は相当の堅物扱いだったらしい。別に、私自身はそんなつもりはないのだが。
「信じている……、というわけでもないが。ただでさえ、ありえないような話なんだから、そういう仮定が一つくらいあってもいいだろう、と思っただけだ」
 すると、今まで蒼白になって震えていたゲイルがほとんど悲鳴に近い声を上げる。
「お、おい、やめろよなー! 田舎生まれ時計台育ちのジーンは知らねーかもしれねーけど! エリオットってめちゃくちゃ怖ぇんだからな! エリオットが首都をふらふらしてる、なんて言ったら夜道歩けねーよ俺様!」
 それが「怖いもの」だということくらいは、私にだってわかっている。そう、俗世間に疎い私ですら、その名が脅威を示すものだと知っている程度の有名人なのだ、この凄惨かつ荒唐無稽な事件には、そのくらいの大物がお似合いではないだろうか。
 ――エリオット・イーズデイル。それは、「架空の」人殺しの名前だ。
 だが、エリオット・イーズデイルという存在が、一から十まで架空というわけではない。
 多分これはアーサー辺りが詳細に知っている領域であって、私が知るのはあらまし程度だが、今から百年以上前、それこそ帝国との戦争が始まるよりもずっと前の話、ここ、女王国首都で罪もない人々を殺して回っていた殺人鬼が存在した。結局、その殺人鬼は捕まることのないまま行方不明となり、事件は犯人不在のまま終結したという。
 その大量殺人鬼の名前こそが、エリオット・イーズデイルと伝えられている。
 ただし、現代において語られるのは、その名を借りた御伽話だ。もしくは都市伝説と言い換えた方がもう少し実態に近いかもしれない。
 首都では――実際には首都に限らないかもしれないが――時々、不可解な死に見舞われる者がいる。例えば、昨日まで普段となんら変わらぬ生活を送っていた者が、翌日、寝台の上で冷たくなっている、とか。頑健で知られていた我ら女王国海軍の某大佐が原因不明の突然死を迎えて騒ぎになったことは比較的記憶に新しい。
 もちろん、どれだけ傍目に不可解に見えても、実際に死んでいる以上は何らかの原因があってしかるべきだ。先の大佐の例では、結局のところは前日の深酒がたたり、それに加えていくつかの要素が重なり合った結果、命を落としてしまったのだ、と説明されている。
 しかし、それだけでは説明がつかない、と語る者も後を絶たない。大佐の例もそうであるし、その他にも似たような事象はいくつも確認されている。
 そういう、原因を突き止めきれない死を前にした時、首都のほとんどの人間はこう語る。
 きっと、エリオット・イーズデイルがやったのだ、と。
 遠い昔に現れて消えた殺人鬼が、今もなお犠牲者を求めて彷徨っていて、原因不明の死を遂げた者は、ことごとく彼の手にかかって魂魄を魄霧の海に引きずり込まれたのだと。
 そう、幽霊の正体が解明された現代においてすら、荒唐無稽な都市伝説として、エリオット・イーズデイルは人々の間で語り継がれているのだ。
 ――死の導き手、夜霧を渡るもの、死霊の王、と。
 アーサーは大げさに煙を吐き出して、天井を仰いでみせる。
「まあ、そりゃあね、エリオット・イーズデイルならやってのけるでしょうよ。あれは問答無用の殺人装置だ。と言っても、オレは『らしくない』とは思いますけどね」
「……どういうこと」
 だ、の音を言い終わる前に、ゲイルが頭をかきむしりながら、勢いよく立ち上がる。
「うおおお! 俺様はもうこんなところにはいられない! 部屋に帰らせてもらう!」
 突然、どこぞの探偵小説の被害者のようなことを言い出したかと思うと、その場から駆け出そうとする。が、横に座っていたアーサーがそちらをちらりとも見ないまま服の裾を掴んだことで、ゲイルの逃亡は未遂に終わった。
「離せアーサー! こんな話してたら、エリオットが来るって! ダメだって! 俺様まだ死にたくねーよ!」
「だから、ただの都市伝説じゃないですか、エリオット・イーズデイルなんて。ほんとオタク、お化けの話だけはとことんダメですよね」
 そうか、ゲイルはお化けというか、亡霊や妖精の類をはじめとした「正体があやふやなもの」をことごとく苦手としていたのだった。こんな都市伝説ですら、ゲイルにとっては十二分に恐怖を招くものであったらしい。
「いやー、思い出しますねえ。訓練生時代に、夜な夜な白い影が訓練施設をうろついているって知った時の、ゲイルの狼狽えよう」
「だから、あの時の話はやめろよー! っつーかあれは、あいつがさー!」
「本当に、あれはいい見世物だったよ。ボクが顔を見せた時のゲイルの顔といったら」
 その言葉に応えたのは、私でもなければアーサーでもなく。当然、ゲイルでもありえなかった。
 一瞬、その声がどこから聞こえてきたのかわからずに戸惑ったが、我に返って見てみれば、声の主は、既に我々が囲むテーブルのすぐ側、それこそ私の正面に鎮座ましましていたのだと、気づく。
「げえっ」
 私から一拍遅れてその存在を知覚したらしいゲイルが、眉を顰めて潰された蛙のような声を立てるのに対し、私の正面に座る男は、涼しい顔で言う。
「人の顔を見て嫌な顔をするのはやめてもらえないかな? 本当に失礼な奴だよね、君」
 安楽椅子の上でひょろりとした足を曲げ、長い背中を丸めているのは、霧に煙るような白髪の男だ。ただ、人より長い手足と髪の色以外にどう形容すべきかは悩ましい、どうにもぼんやりとした、特徴のない顔立ちをした男である。唯一、顔の中で特徴と言っていい特徴は、その、糸のように細められた目くらいだろうか。
 トレヴァー・トラヴァース。
 我々の同期、第二世代霧航士の一人、現時点で「最強」を誇るゲイルと並び立つ「最優」の霧航士だ。
「……いたのか、トレヴァー」
「うん。その二人が談話室に来る前から、ずっとね」
 うわあ、とゲイルが嫌な顔をもう一段深める。アーサーも流石にトレヴァーの言葉には驚いたらしく、目を点にしながらも、何とか、といった様子で口を開く。
「いくら隠密艇乗りだからって、翅翼艇降りてるのに隠密するのやめてくれません?」
「別に隠れてたつもりはないんだけどね。君らが鈍いだけじゃない?」
 トレヴァーは糸のように細めた目を更に細めてにこりと微笑みながら、なかなか辛辣なことを言う。
 まあ、船に乗っていない時のトレヴァーがいつもこんなものだということは、私も、ゲイルも、アーサーもよくよく理解はしている。そんなわけで、アーサーも特に気を悪くした様子はなく、ただ、トレヴァーに肩を竦めてみせるだけだった。
 トレヴァーは折り曲げた細長い足でハードカバーの本を支えながら、くつくつと声を殺して笑う。
「それにしても、ジーンにしては面白い考察をするじゃないか。お化けが、人の脳味噌を奪うなんて」
「お前たちは私をどれだけ堅物だと思ってるんだよ」
 それなりに? とトレヴァーはアーサーに同意を求める。アーサーも小さく頷いてそれに応えた。どうやら、私は自分が思っているよりずっとお堅く見られているらしい、ということはわかった。もう少し、意識して肩の力を抜く必要があるかもしれない。
「で、トレヴァーはどういう見解です? ずっとここにいたってことは、オレらの話もずっと聞いてたんでしょ」
「そうだな、この事件に限って言うなら、君らの言うエリオット・イーズデイルとはまず無関係だろうね」
 トレヴァーははっきりと言い切った。それに対し、長椅子に座り直したゲイルが唇を尖らせる。
「ど、どうして言い切れんだよ」
「明白な殺人事件だから。お化けに人は殺せないよ、普通に考えてわからないかい?」
「だけど、エリオット・イーズデイルってどんな相手でもよくわかんねー方法で殺すお化けだって……」
「わからないかなあ。だからこそ、だよ、ゲイル」
「あー、オレもそこが『らしくない』って思ったんですよ」
 アーサーはトレヴァーの言わんとしていることを理解したらしく、トレヴァーの言葉を継ぐ。
「今回の事件は、過去にエリオット・イーズデイルの関与が噂されてきた事件と違って、死因が明確なんです。わけのわからない事件ではありますが、被害者の死が何によってもたらされたのか、だけは、どうしようもなくはっきりしている」
 ――ああ。
 やっと、私にもトレヴァーとアーサーの言わんとしていることが飲み込めた。
 エリオット・イーズデイルは、確かに姿の見えない殺人鬼という都市伝説だが、その伝説の内容は、あくまで人に不可解な死を与える「死の運び手」であって、既に「殺人」であるとはっきりしている事件を起こすもの、というわけではないのだ。
「そういうこと。もし『死因が不可解』であれば架空の殺人鬼を疑ってみるのも一興ではあるけど、今回の事件はそうじゃない。明白に、現実に存在する誰かが、人を殺して、脳味噌を盗み去っているんだろうさ」
 視線だけは手元の本に落としたまま、そこまでを一気に吐き出したトレヴァーは、ふう、と一つ溜息を挟んで、安楽椅子の肘掛けに肘をつく。
「それよりも、君たちは考える順番を間違えてないかい? まあ、どれだけ考えても答えが出ないのが前提の単なる思考の遊びだから、順番を論じることすらナンセンスかもしれないけどね」
「どういうことだ?」
「現実に事件が発生した以上、『誰か』が関わっているのは間違いない。でも、まず『どのように』人を殺して脳を引きずり出したか考えてみるべきだと思わないかい?」
 分厚い本のページを一つ繰り、トレヴァーは薄い唇に浮かんだ笑みを更に深める。
「そうじゃなきゃ、誰にそれが可能だったのか議論することも、できやしないだろう?」

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