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不思議の国の紫苑 コンバラリアの行方

ルンペルシュティルツヒェン

ルンペルシュティルツヒェン【Rumpelstiltskin】
 藁を紡いで金にするよう王に命じられた娘が、小人と取引をし、娘が生む子供と引き換えに金を紡いでもらう。やがて、赤ん坊を奪いにきた小人は、娘の嘆願に、「三日後までに自分の名前を当てれば子供を連れて行かない」と約束するが。
 どうにも、理不尽な話だ。小人が悪さをしていたから懲らしめた、ならわかる。だが、小人は最初から最後まで己の言葉を守っただけだ。利用するだけしてぽいとは、人間の方がよっぽど性質が悪い。それこそが、現実なのかもしれないが。
 
 
 
 ちいさな町の、ちいさな広場。
 長椅子に腰掛けたアリス・ルナイトは、相棒である八弦琵琶の音色を確かめる。
 弦を鳴らし、音の歪みを聞き分けて釘を回す作業は、いつまで経っても苦手なままだ。いつだったか、絶対音感を持つ男とともに旅をしていた頃は、音が合っていないといちいち嫌な顔をされたのだった。
 そんな、苦い記憶を思い起こしながら、自分で納得できる程度に音を合わせたところで、不意に、視界に影が落ちた。
 ふと顔を上げると、そこには、見知った顔があった。
「……あら、久しぶりね」
 お久しぶりです、と会釈するのは、目深に頭巾を被った、黒い法衣の男だった。
 アリスは、この男をよく知っていた。まるで、自分の半身か何かであるかのように。全く、姿形は似ても似つかないというのに。
「奥さんは一緒じゃないの?」
「今は、商店街で買い物中ですよ。女性の買い物というのは、どうしてこうも時間がかかるのでしょうね」
 大げさに肩を竦めて息をつく男だったが、頭巾から覗く青白い横顔は、妙に満足げでもあった。
「幸せそうね」
「ええ、幸せです」
 アリスの言葉に、男は、爽やかな笑顔と、歯切れのよい言葉で応えた。そこに、何の迷いも躊躇いもないことに、アリスは羨むでもなく、妬むでもなく、ただ、自分のことのように嬉しくなった。
 けれど、そんな思いは胸の奥にそっと隠して、背の高い男を見上げる。
「その幸せを、ひとつ、分けてちょうだいな。銀貨という形ならなお嬉しいわ」
「それなら、僕の銀貨とひきかえに、ひとつ、とっておきの話を聞かせてくださいな」
 言って、男は、いたずらっぽく笑った。
 言ってくれるではないか。アリスは、いつになく愉快な心持ちで、包帯を巻いた指先で弦を爪弾く。
「なら、悪魔のお話はどうかしら。あなた、悪魔はご存じかしら?」
「ええと……、確か、数百年ほど前に、異界からやってきて、楽園には存在しない力を用いて世界を蹂躙した知的生命体、でしたよね。しかし、現存する個体はほとんどいないとも聞いておりますが」
「そうね。けれど、これから話すのは、それこそ半年くらい前の出来事よ。そこには一人の青年がいて、そして、名前のない悪魔がいた」
 一際強く、弦を弾いて。頭巾の下で真っ赤な目を丸くする男ただ一人に向け、アリスは、紅の唇を、開く。
 
 
 むかし、むかし。
 と言っても、実際にはつい最近の出来事なのですが。ここは御伽話の作法に乗っ取って、むかし、としておきましょう。
 かつて『東の大国』と呼ばれたレクス帝国、その栄華の色を濃く残した、ユーリス領レクスの都市ベクリスタには、大きな大きなお屋敷がありました。
 このお屋敷は、帝国の時代から代々レクス皇帝に仕える由緒正しい貴族のお屋敷で、今もレクスではとても大きな影響力を持つ一族として知られています。特に、近年は数々の功績を打ちたて、他の貴族を差し置いて、とても高い発言力を得るに至っておりました。
 さて、そのお屋敷に住んでいたのは、屋敷の主と、その息子である成人したばかりの青年と、たくさんの使用人でした。主の息子は、それはそれは正義感の強い馬鹿――もとい素晴らしいお坊ちゃまでした。
 ある日、お坊ちゃまは、父親に呼び出されました。
 長い一族の歴史の中でも、最も一族を盛りたてたと言ってもおかしくない当主様ですが、近頃は特にぼんやりとしていて顔色も悪く、お坊ちゃまは不安な日々を過ごしておりました。
 しかし、父はそんなお坊ちゃまの不安も知らずに、淡々と言ったのです。
「もうすぐ、この家を継ぐことになるお前に、私の秘密を教えよう」
 そう言った父に連れられたお坊ちゃまは、屋敷の秘密の部屋で驚くべきものを目にしました。
 そこに閉じ込められていたのは、一人の悪魔でした。
 その悪魔は、人間とほとんど同じ形をしていましたが、闇を固めたような真っ黒な髪と、闇の中でも淡く光る凍てついた目は、お坊ちゃまの目には酷く人間離れして見えました。
 一体この悪魔は何なのだ、とお坊ちゃまは父に問います。すると、父はこう答えました。
「私は、悪魔と契約をして、未来を見る力を手に入れたのだ」
 未来を見る魔法は、この世には存在しません。しかし、目の前にいるのはこの世のものではない「悪魔」であり、自分には見えない未来を見ることができる。だから、自分はこれまで成功し続けていられたのだ、と父は言いました。
 けれども、お坊ちゃまは、納得できません。
 この悪魔には本当に未来が見えるのか。そんな能力存在するはずもない。お坊ちゃまは、そう言いました。
 すると、悪魔はお坊ちゃまの言葉に応えて、すらすらと未来を予言しました。そして、その予言はことごとく当たったのです。明日の天気、何時何分に雨が降り始めるのか。明日、お坊ちゃまは誰と出会い、どんな話をするのか。その結果、どんな出来事が起こるのかも、何もかも。
 けれども、お坊ちゃまは、まだまだ納得できません。
 この悪魔は、どうしてここに閉じ込められているのか。父は、どうやって悪魔と契約したのか。お坊ちゃまは、そう言いました。
 すると、今度は父が教えてくれました。悪魔は、ある日ふらりとこの家にやってきて、父と会い見えました。そして、魔法の力で悪魔を屈服させ、命を助ける代わりに未来を予言させているのだといいます。
 けれども、お坊ちゃまは、どうしても納得できません。
 そう、どうしても、納得できませんでした。許せませんでした。
 父が、自分の頭で考えることなく、未来を予言する悪魔に踊らされていることが。
 父が踊らされていたということは、父の命によって動いていたこの一族全てが、得体の知れない悪魔に踊らされていたということなのです。
 父は、悪魔を信頼しきっているけれど、悪魔は悪魔です。甘言で人を翻弄し、楽園の秩序を乱す存在として語られているものを、どうして信じきることができましょうか。
 そして、未来が見えないからこそ、人は未来について思いを馳せ、夢を見ることができるし、望みをかけることができるのです。与えられた予言を受け入れるだけで、考えることをやめてしまっては意味がありません。
 お坊ちゃまはそう言って、必死に父を諌めようとしました。
 しかし、父はお坊ちゃまの言葉を聞き届けないどころか、逆にお坊ちゃまに対して怒りをぶつけます。お前は何もわかっていない、一族の繁栄と平穏を守ることこそが当主の定めであり、そのためならば何でも利用するのが当然だと言って。
 結局、お坊ちゃまは父の言うことも、悪魔の存在も納得できないまま、それからの日々を過ごしました。父は日々悪魔の元に通い、その度にやつれていくように見えました。ぼうっとすることが多くなり、感情も不安定で、すぐに怒っては周りの人を困らせるようになっていました。
 そんな中、時々、悪魔の様子を見に行くと、悪魔は必ず未来の予言をしようかと持ちかけてきました。もちろん、お坊ちゃまはそれをことごとく断りました。その度に、悪魔は悲しげな顔をしました。残念そうな、寂しそうな、しゅんとした顔です。
 そんな悪魔の姿を見ているうちに、段々、お坊ちゃまは不思議な気分になっていきました。父は、悪魔を屈服させ、従わせているといいますが、どうも、それは本当のことではないように思えてきたのです。
 そう思っていた矢先、でした。
 当主様――父が、亡くなったのは。
 もちろん、お坊ちゃまは、新しい当主になりました。父を世界樹に還すための儀式や、仕事の引継ぎのために、しばらく忙しい日が続きました。それが一段落したところで、お坊ちゃまは、一つの決意をしました。
 悪魔を殺そう、という決意を。
 悪魔が父に何をしたのかはわかりませんが、悪魔に予言を聞きにいくたびに父が弱っていったのは、見間違えようもないことでした。きっと、悪魔は、大人しく父に従っているふりをして、父の命を喰らっていたに違いありません。それこそ、伝承で語られる悪魔のように。
 そんな悪魔の言葉などに耳を傾けることはできません。この屋敷の中にいるというだけで、害悪になりかねません。
 仮に、悪魔がいなくなったことで、未来の予言が失われ、順風満帆だった一族に影が差したとしても、その責任は己が取る。その決意と共に、お坊ちゃまは父の形見である杖を構え、悪魔と対峙しました。
 悪魔には、未来が見えていましたから、お坊ちゃまが悪魔を殺しに来ることはもちろんわかっていました。しかし、悪魔は落ち着いたものでした。
「殺されるのが、怖くは無いのか」
 お坊ちゃまがそう聞くと、悪魔はこう答えました。
「怖いです。震えています。誰だって、死ぬのは嫌です。それに、私にはもう一つ恐れていることがあるのです」
 もったいぶった物言いは、悪魔の話術の一つではないか。そんな風に疑いながらも、お坊ちゃまは「何を恐れているんだ」と悪魔に更なる問いを投げかけます。
 すると、悪魔は、真っ直ぐにお坊ちゃまを見つめて、こう言ったのです。
「私を殺した後に真実を知れば、坊ちゃまが後悔するかもしれません」
 ……と。
 するかもしれません、なんて、未来が見える悪魔らしくもない言葉ですが、確かにそう言ったのです。
 お坊ちゃまは、考えました。悪魔は、この部屋から出て、誰かを惑わせ、父のように殺す気はないようです。それならば、殺すのは、悪魔の言う『真実』を知った後でも構わない、そう思ったのです。
 それ自体が、悪魔の狙いであったのかもしれませんし、そうでなかったのかもしれませんが、とにかく、お坊ちゃまは、悪魔に『真実』とは何かと問いました。
 悪魔は、少しだけ考え込んでから、言葉を選び選び、こう答えたそうです。
「それは、坊ちゃまが探してこそ、意味があります。どうか、私の名前を探してください。そうすれば、自ずと隠された真実が明らかになるでしょう」
 そういえば、悪魔は「悪魔」と呼ばれるばかりで、名前は、父も一言も言っていませんでした。お坊ちゃまは、もったいつけずに教えろと悪魔に詰め寄りましたが、悪魔は頑として聞きません。杖を突きつけられても、酷く震え上がりはしましたが、口を硬く噤んだまま。
 これでは話になりません。ひとまずは、悪魔の言うとおり、悪魔の名前を探すことにしました。
 悪魔は、名前は屋敷の中にあるとだけ教えてくれました。
 とはいえ、悪魔のことは、そもそも屋敷の中でもほんの一握りの者しか知りません。闇雲に探しても意味がないように思われました。ただ、逆に言えば、悪魔の存在を知っている者の周りを探れば、何か見つかるのではないか。そう考えて、お坊ちゃまは、父の残したものの中から、悪魔に関する記述を探し始めました。
 探しているうちに、お坊ちゃまは、一冊の手記を見つけました。
 そこには、悪魔のことは何一つ書かれておりません。ただ、悪魔の言うとおり、悪魔があの部屋に閉じ込められている秘密は、はっきりと、書かれていたのです。
 もう一つ、存在しないものとして隠されていた、悪魔の名前も。
 そう、確かにそれは一つの「真実」でした。その真実を手に、もう一度、お坊ちゃまは悪魔と向き合いました。
「私の名前は、見つかりましたか?」
 悪魔の問いに、お坊ちゃまは悪魔の名前を告げ、部屋の鍵を開けました。
 そして、こう、言ったのです。
「真実を教えてくれてありがとう。おかげで俺は『人殺し』にならなくて済んだ。お前はもう自由だ、望む場所に旅立つがいい」
 そうして、未来視の悪魔は解き放たれ、自由の身になりました。悪魔は、お坊ちゃまにお礼を言って、父に弔いの言葉を捧げて、楽園のどこかに消えていきました。
 お屋敷から悪魔は消えましたが、一族は今も繁栄を続けています。それはお坊ちゃまだった今の当主様が、見えない未来を切り開こうと、日々過ごしているからに違いありません。
 一族の未来は、きっと、安泰でしょう。
 めでたし、めでたし。
 
 
「それで、終わりですか」
「ええ、これで終わり」
「ずいぶんと、唐突ですね」
「御伽話というのは、大概が唐突で不条理なものよ」
 そういうものですかね、と男は首を傾げる。
 もちろん、聡いこの男のことだ、アリスが何か重要なことを誤魔化して、あえて語らなかったことくらいは、とうに気づいているだろう。
 それでも、男はそれ以上は何も言わない。吟遊詩人アリス・ルナイトが語るのは、事実を元にした御伽話であり、また、御伽話に織り込まれた事実である。その全てが必ず「真実」というわけではないのだから。
「そういえば、昔、似たような話を聞いたことがあります。娘に、名前を探してこい、と言う不思議な小人のお話」
「ルンペルシュティルツヒェン」
「そんな名前でしたか。よく覚えていらっしゃいますね」
「あなたこそ、よく覚えてたわね。そんなに有名な話でもないと思ったけど」
「僕にとっては、そう、昔の話でもありませんから」
「……そうね」
 そっと、琵琶をかき抱く。胸に刺さった微かな痛みを、男に感づかれなければいいと祈りながら。
「とにかく、旅を続けていれば、あなたも出会えるかもしれないわ。今や誰にも縛られていない、凍れる瞳の、未来視のルンペルシュティルツヒェンに」
「それは、楽しみです」
 黒い衣の白い男は、ふうわりと微笑んだ。
 すると、遠くから、よく通る女の声が男の名前を呼ぶ。反射的に顔をそちらに向けた男に、アリスは、紫苑の瞳を細めて笑いかける。
「ほら、かわいい奥さんが呼んでるわよ」
「あはは、そうですね。それでは、またどこかで」
「ええ、あなたが生きてさえいれば、きっと会えるわ」
 だって、私は死を知らない『紫苑の魔女』だもの。
 歌うように言って、アリスは笑う。きっと、目の前の男もよく知る不敵な笑顔を浮かべ、遠い日の言葉で告げる。
『またな、ユークリッド』

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