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不思議の国の紫苑 コンバラリアの行方

灰かぶり

灰かぶり【Cinderella】
 継母に虐げられる娘が、魔法使いの力を借りてきらびやかな衣装に身を包み、舞踏会に出かけるものの、十二時の鐘と共に魔法が解け、慌てて逃げ帰る。しかし、唯一残された硝子の靴から王子が娘を探し出し、二人は結ばれる。
 シンデレラ・ストーリー。子供の頃こそ憧れたものだったが、「お姫様」とはそこまでよいものだろうか。足の指を切り落としてでも、王子と結ばれたいと望むものだろうか。私は、娘が、その後、幸せに暮らせたとは思えないままでいる。
 
 
 
 むかし、むかし。
 世界樹の足下に広がる女神の国、ユーリス神聖国。
 その端に位置する森の中、ちいさな町の町外れに、一人の女の子が住んでいました。
 女の子は、ちいさな頃に両親を亡くして、親戚の家に引き取られました。しかし、新しいお母さまはとてもいじわるな人で、女の子にとっては新しい姉である、自分の娘をかわいがるばかり。女の子は、召使いのように毎日こき使われていました。
 もちろん、それは、町のお祭の日も、一緒でした。
 十年に一回のお祭は、ちいさな町を、魔物や恐ろしい人から守ってくれる、町の『守り主』様に感謝を捧げる、とても大切なお祭です。一年に一度のお祭と違い、このお祭では、町の人なら誰でも『守り主』のお姿を見ることができたのです。
 しかし、女の子は、お祭に出かけることはできません。お母さまとお姉さまから、掃除と洗濯が終わらない限り、家から出てはいけないと言われてしまったからです。しかも、その日に限って、いつもよりもずっと多くの仕事を押し付けられたのです。
 そして、お母さまとお姉さまは、とっておきのおめかしをして、お祭に出かけてしまいました。
 家はしんと静まり返っていましたが、外からは、お祭の音楽と楽しげな人々の声が聞こえてきます。時々、花火の音も鳴っておりました。そのさざめくような宴の音を聞きながら、女の子は祭の風景を想像しました。色とりどりの花に、美味しい料理。不思議な衣装を纏った人々の踊り、それに女の子も一度も姿を見たことのない『守り主』。
 想像は膨らみますが、女の子は、それらを目にすることもできないのです。
 そう思った途端に、女の子は悲しくなって、箒の手を止めて、はらはらと涙を零しました。
 その時、とんとん、と玄関の扉が叩かれました。女の子は慌てて涙を拭いて顔を上げます。いつの間にか、外は夜になっていましたが、こんな時間にどんなお客さまでしょう。
 扉を開けると、そこには、旅の司祭さまが立っておりました。司祭さまは、にっこり微笑んで言いました。
「こんばんは、お嬢さん」
「こんばんは、司祭さま」
「今宵はお祭のようですが、お嬢さんは見には行かれないのです?」
「残念ですが司祭さま、私は家の仕事があるのです」
「そうですか。お嬢さんは、この町の『守り主』を見たことがあるのですか」
「いいえ。前の祭では、ちいさすぎて、連れて行ってはもらえませんでした」
「なるほど、そうなのですね」
 司祭さまは、小さく頷きました。
「私は巡礼の旅の途中なのですが、名高い『守り主』にお目にかかりたいと思いまして、この町に立ち寄ったのです。私でもお目にかかるはできるでしょうか」
「わかりません。『守り主』は町の人しか会うことは許されないと聞いていますが、司祭さまならお会いできるかもしれません」
 何しろ、女神ユーリスに仕える司祭さまはとても偉いのです。司祭さまをないがしろにすることは、楽園に暮らす以上ありえないはず――女の子は、そう思っていました。
 司祭さまは満足げに「なるほど、なるほど」と言った後、女の子にお礼を言って、去っていきました。そうして、女の子はまた一人、ぽつりと静かな家の中に取り残されました。
 果たして、あの司祭さまは、『守り主』を見ることができたでしょうか。『守り主』とはどのような姿をしているのでしょうか。
 女の子は家中の掃除を終えて、息をつきました。外から聞こえてくる花火と宴の音は止みませんが、何しろ女の子が纏っているのはぼろ布同然、お母さまやお姉さまのようなおめかしをして、外に出て行くこともできません。
 仕方なく、女の子は家にあった粗末なパンと、簡単に作った薄いスープで食事をとって、眠ることにしました。掛け布団を頭の上まで上げて、流れてくる浮かれた音も聞こえないようにして。
 目を閉じて、頭の中をからっぽにして。そうしているうちに、眠くなってきました。布団の中でうつらうつらしていると、一際大きな花火の音が、聞こえてきました。一発、二発、三発……。それと同時に、甲高い悲鳴のようなものも、布団越しに聞こえた気がしました。
 悲鳴。どうして、悲鳴なんか聞こえてくるのでしょう。眠りに落ちる直前の、ぼんやりとした頭では、どうしてもわかりませんでした。
 じわじわと湧き上がってくる恐怖を押さえ込んで、ぎゅっと目を閉じて、耳を塞いで。そのうち、外から全く物音が聞こえなくなっていたことに、女の子は気づいていませんでした。
 長い夜が明けて、眠れぬ夜を過ごした女の子は、布団から這い出て、恐る恐る寝台を下りました。お母さまと、お姉さまは、帰ってきていないようでした。
 一体どうしたことでしょう。胸騒ぎを覚えながら、分厚いカーテンを開けると。
 そこには、何も、ありませんでした。
 家の周りを取り囲んでいた木も、細い小道も、その先に立ち並ぶ家々も、何もかもが消え去って、灰に包まれた荒野と貸していました。
 女の子は、慌てて外に飛び出しました。身に纏っているのが、ぼろ布同然であることも忘れ、靴も履かず、裸足で駆けてゆきました。灰が巻き上がって、棒きれのような足を汚しても、気にしてなどいられません。
 荒野はどこまでも続いていました。宴のあとはおろか、町ひとつが、元から何も無かったかのように、すっかり消えてしまっていました。もちろん、人の姿もありません。女の子を置いて逃げ出したのでしょうか。きっとそうではありません。影すら残さずに、焼き尽くされてしまったに違いありません。
 女の子は、『守り主』がいるという広場に駆け込みました。けれど、『守り主』が眠っているという場所には大穴が開き、そこにはやはり、灰が積もっているだけでした。
 女の子はへなへなと、その場に座り込んでしまいました。何が起こったのかはわかりませんが、町が一晩にして滅び、町の住人も、女の子を残して一人残らず消えてしまった、ということだけは、やっと飲みこめました。その途端に、悲しくて、恐ろしくて、女の子は灰塗れの顔で泣き出しました。
 その時、女の子の後ろから、柔らかな声がかけられました。
「おはよう、お嬢さん」
 女の子がはっとそちらを向くと、一人の女が立っていました。涙に濡れた目では、女の姿をはっきりと見ることは出来ませんでしたが、女が白い髪をしていて、何かを抱えているということはわかりました。
「酷いものね。いくら、証拠を全て消し去るのが役目とはいえ、ここまで徹底的とは」
 女の子は、顔が更に汚れるのにも構わず涙を拭いて、女を見つめました。今度は、女の顔をはっきりと見ることが出来ました。楽園には珍しい、紫の目が、じっと女の子を見つめていました。その腕に抱えているのは、どうやら八弦琵琶のようです。
 女の子が掠れた声で「誰?」と問うと、女はよく響く声で言いました。
「私の名前はアリス。『紫苑の魔女』アリス・ルナイト」
 魔女。ルナイト。その言葉に、女の子は背筋が冷たくなりました。
 ルナイトの魔女とは、女神様の創り上げた平和な楽園に、争いを起こす恐ろしい人たちです。かつて三百年も戦争の時代が続いたのは、この魔女たちが嘘をついて、人と人が憎みあうように仕向けたからだと言われています。そんな、御伽話の魔女が、目の前にいたのです。
 アリス・ルナイトと名乗った女の人は、地面に座り込んだままの女の子に手を差し伸べてきましたが、女の子は「ひっ」と息を飲んでその手を叩きました。魔女を名乗る人の手なんて、取りたくありませんでした。それに、アリスの手は、よく見ればびっしりと金色の鱗に覆われていて、酷く不気味だったのです。
 けれど、アリスは女の子を怒ることもせず、もう一度、醜い手を差し伸べます。そんなアリスを睨み付け、女の子は真っ青な顔で叫びました。
「あなたがこの町を滅ぼしたんでしょう、人殺し!」
 すると、アリスはゆるゆると首を横に振りました。
「いいえ、私は何も手を下していないわ。この町を滅ぼしたのは、女神ユーリスさまよ。この町は、異端の技術、禁忌機巧を『守り主』として信奉する咎人の町として、神殿の影追いに消されたの。あなたは、きっと、何も知らないから助けられたのね」
 影追い。それは、女神さまの御心に逆らう者を狩る、闇の狩人です。普段は騎士さまや司祭さまの姿に身をやつして楽園を巡っていますが、ひとたび咎人を見つけると、誰にも知られぬままに闇に葬るとされています。
 しかし、この町の誰が悪いことをしたというのでしょう。お母さまとお姉さまはいじわるな人でしたが、それでも、女神さまの教えを守って、日々を静かに生きていました。女神さまの怒りを買うようなことは、何一つなかったはずなのです。
 魔女の言うことは、女の子にはさっぱり理解できませんでした。異端や禁忌機巧、という言葉が何を意味するのかも、この町がどうして影追いに消されなければならなかったのかも。『守り主』が関わっている、ということが、わかっただけで。
 アリスが、本当のことを言っているかどうか、女の子にはわかりません。しかし、それが全て嘘だとはどうしても思えなくて、ただ、こう呟くことしかできませんでした。
「どうして」
 どうして、自分が生き残ったのか。
「どうして」
 どうして、皆が殺されたのか。
「どうして」
 どうして、女神さまはこの町を見捨てたもうたのか。
 女の子の「どうして」に、魔女アリスは答えませんでした。ただ、金色の腕を伸ばし、紫苑の瞳で女の子を見つめて、言いました。
「もし、何もかもを忘れて、幸せに生きていきたいと望むなら、隣町まで案内してあげるわ。きっと、誰かしらはあなたの助けになってくれるはずよ」
 けれど――。
 そう付け加えて、アリスは少しだけ笑いました。
「もし、真実を知りたければ、私についてきなさい。私たちルナイトの魔女は、あなたの問いに答えられる。この町が何故焼かれたのか、影追いはこの町の何を恐れたのか。その全てを。ただし」
「ただし?」
「私の手を取れば、あなたの人生は、これまでと全く別のものになる。平穏に生きることなんてできやしないし、この世界の狂ったところ、人の醜いところばかり目にすることになる。それでもよければ、ついてきなさい」
 今更、何を恐れることがあるだろう。魔女の向こうに広がる灰色の世界をぼんやりと見つめて、女の子は思いました。
 こんな現実を目の前にして、何もかもを忘れて幸せに生きるなんて、無理に決まっています。それに、この世界の何かがおかしいことは、今、はっきりとわかってしまいました。この世界の全てを愛しているはずの女神さまは、この町を、女の子の居場所を、愛してはくれなかったのですから。
 女の子は、ぎゅっと手を握り締めて、それから顔を上げました。かさかさにひび割れた指先で、魔女アリスの手を取って言いました。
「つれていってください」
 はっきりと。
「私に、本当のことを、教えてください」
 かくして、女の子は『紫苑の魔女』に連れられて、灰に塗れた荒野の向こう側に消えてゆきました。
 後に、女の子は、禁忌の力と異端の知識をもって楽園の変革を目論む『砂礫の魔女』、サンド・ルナイトとして知られることになりますが――。
 
 それはまた、別のお話。

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